なぜ、いつも不安なんだろう? なぜ、人と比べてしまうんだろう?
SNSをひらけば、だれかの幸せそうなようすが映し出される。それに比べて、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと落ち込む。
現代は、こうしたワナにあふれている。それらにとらわれず、世の中のさまざまなしがらみから抜け出して「幸せな人生」を歩むために必要なものはなんだろう?
それは、「自信」だ。『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)では、フランスの高校生から大絶賛される哲学教師が、「本当の自信の育て方」を教えてくれる。本書からその一部を特別に紹介しよう。

生徒に「本当の自信」を与える教師の共通点とは?Photo: Adobe Stock

自分の声に耳を傾ければ、自信が持てる

 私たちは学校で、規則を守り、授業に集中し、教師の言葉をよく聞くようにと言われ続ける。だが決して、「何よりも大切なのは自分自身の内なる声に耳を傾けられるようになることだ」とは教わらない。

 この点、私は幸運だ。「自分の考えに自信を持つこと」の大切さを説き、私の人生を変えてくれた教師に2人も出会えたからだ。

人生を変えてくれた恩師の教え

 高校1年時の文学の授業では、ポール・ヴェルレーヌやマルセル・プルースト、アルベール・カミュなどの素晴らしさを知った。

 担当教師はとても厳しく、昔ながらの方法で生徒たちに詩を暗記させるような人だった。だが、彼女は同時に私たちに自分の感情を探ること、内なる声に耳を傾けることの大切さも教えてくれた。

「そう、それは正解です。でも、あなた自身はこれについてどう思う? この詩はよく書けていると思う? 自分にどんな影響を与えると思う?」と生徒に問いかけた。

 もう1人は、アリストテレスやスピノザ、ヘーゲルなどの西洋哲学の巨人を紹介してくれた哲学教師だ。それまでの私が知らなかった哲学の話をたくさん教えてくれた。だが何より、この教師からは自分自身の内なる声に耳を傾けることの大切さを叩き込まれた。

 デカルトについての長い講義をした後に、「デカルトのことはどうでもいい。君はどう思うんだ?」と尋ねられた。

 あれから25年が経過した。あの哲学の授業について私が覚えているのは、それが哲学を学ぶ時間というよりも、「自分のことについて考える時間」だったということだ。

 それは人生の問題や日常生活の煩わしさ、家族との人間関係からいったん離れ、純粋に自分のことを考える時間だった。

 私は自分を知るためにプラトンやカント、サルトルを読み、自分の心の声に耳を傾ける方法を学ぶためにヘーゲルの『精神現象学』を学んだ。

 優れた教師は、生徒を人生の冒険に誘う。生徒に、自分自身でいられるための道具を与える。生徒たちには、その教師が自分と同じ道を歩んできたことがわかる。教師自身が若い頃、いま授業で教えている思想家や哲学概念に触れて、自分を発見したことが伝わってくるのだ。

生徒の自信を奪う教師

 こうした優れた教師たちと正反対なのが、人生を恐れ、自信を失っているが故に教師になった、ニーチェがあざ笑う「良心的な人」のような教師たちだ。

 この何かにおびえた教師たちは、若い頃はただ真面目で従順なだけの生徒で、世界との関わり方を本気で考えようとはしなかった。

 自分自身の内なる声に耳を傾けることも、自分自身について深く学ぶこともないまま、今では教壇に立っている。

 この手の教師に限って、少しでもルール違反をしたり、軽はずみな行動をとったりした生徒をひどく叱り、厳しい評価をつけて自信を奪おうとする。

学校で学ぶ最も大切なこと

 私が影響を受けた2人の教師には、物事をシンプルに説明する勇気があった。それはときに、あまりにも単純すぎるようにすら思えた。

 私は大人になってから気づいた。世の中にはわざわざ小難しい専門用語を使ってもったいぶった言い方をする人もいる。だがあの2人の教師は、複雑な考えをシンプルな方法で表現できる人だったのだ、と。

 難しいことを知っていながら、それをごく簡単な言葉で説明するのは勇気がいる。物事をシンプルに話す勇気を持つことは、自分自身の声に耳を傾ける勇気を持つことでもある。

 小学生であれ、中学生であれ、高校生であれ、大学生であれ、生徒や学生に「この人の話を聞きたい」と思わせるために、この勇気を示すこと以上に効果的なものはない。

 私は「自分の声に耳を傾けることの大切さ」以上に、人が学校で学べるものはないと思う。教師の話を聞くことは、自分自身の声に耳を傾ける術すべを学ぶことでもあるのだ。

[本記事は『幸せな自信の育て方』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)を抜粋、編集して掲載しています]