多くの日本人は気づいていなかったが、2000年以降のアメリカでこの100年起こっていなかった異変が進行していた。発明王・エジソンが興した、決して沈むことがなかったアメリカの魂と言える会社の一社、ゼネラル・エレクトリック(GE)がみるみるその企業価値を失ってしまったのだ。同社が秘密主義であることもあり、その理由はビジネス界の謎であった。ビル・ゲイツも「大きく成功した企業がなぜ失敗するのかが知りたかった」と語っている。その秘密を20数年にわたって追い続けてきたウォール・ストリート・ジャーナルの記者が暴露したのが本書『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』(ダイヤモンド社刊)だ。電機、重工業業界のリーダー企業だったこともあり、常に日本企業のお手本だった巨大企業の内部で何が起きていたのか? 2008年の金融危機の際に、絶対破綻などあり得ないと思われた同社に危機が訪れた。(訳:御立英史)

破綻Photo: Adobe Stock

ドミノ倒しの予感

 CP発行の抑制について、GEのプレスリリースは、「需要は依然として大きいが」、債務状況を考慮して選択したと述べている。イメルトもシェリンも、現在の不確実性を考慮すると、より多くのキャッシュを持つこと、特にGEキャピタルに持つことは、慎重な方策であるだけでなく、「今後18ヵ月間に予定しているM&A(合併と買収)」も進めやすくなると指摘している。

 だが、空が落ちかけているのに企業買収を検討するなどというのは、控えめに言っても怪しい。

 マーケティング面については、GEは同業他社より業績が良く、トリプルAの評価にふさわしい対応策も講じていると述べている。質問に対する回答の中でイメルトは、株を売って自己資本を調達するという選択肢を否定した。

「繰り返しになりますが、資金調達、会社の健全性、バランスシートの頑丈さについては、何も心配していません」とイメルトは投資家に語った。「私たちはGEのビジネスモデルに自信を持っており、ポジションは揺るぎません」

 しかし、この説明には効果がなかった。市場は口先の保証ではなく、確たる裏付けを求めていた。

 GEは、時間と費用をかけて、米国人の暮らしに自分たちがどれほど重要な役割を果たしているかを消費者に伝えてきた。だが、ウォール街はそういうことには興味がなく、GEの利益の半分を生み出している金融サービスの巨人、GEキャピタルのことだけを心配していた。

 市場ではCPへの警戒が続き、GEにとって現実の大問題となっていた。不安に駆られた投資家たちが長期保有を嫌ったので、償還期間は短くなっていった。その結果、企業はCPを頻繁に発行しなくてはならなくなり、発行残高は減っているのに発行回数が急増した。

 イメルトがハンク・ポールソンに、翌日物より長期のCPを売るのが難しくなっていると言ったのは、こうした状況を伝えるものだった。

 ニューヨーク・タイムズが報じた電話記録によると、2008年10月1日水曜の午後、イメルトはティム・ガイトナーと電話で話している。この1時間の会談には、GEの顧問弁護士であるブラケット・B・デニストン三世らも参加していた。

 GEは他の多くの企業と同様に、銀行の融資限度枠を利用して資金を調達していた。融資限度枠とは、一定額までは事前に決めておいた金利でお金を借りられるという仕組みで、キャッシュ不足に備える保険のようなものである。

 しかし、投資家が次のドミノ倒しを恐れたため、融資限度枠は必ずしも命綱とは言えなくなっていた。2007年夏、カントリーワイド・ファイナンシャルが115億ドルの融資限度枠に手をつけたことがとどめを刺した。市場に疑念が渦巻くなか、GEの銀行融資枠は事実上、意味を失った。それに手をつけるのは闇夜に照明弾を放つようなもので、投資家も顧客も取引先も、GEの危機を知って逃げ出すことが確実だ。そうなると会社は死のスパイラルに陥る。経営状況が健全でも、そんなパニックが暴走すれば、企業は破綻するかもしれない。

 それでも多くの人の意識のなかでは、GEはリーマン・ブラザーズではなく、倒産も破産宣告もありえなかった。軍需産業部門のことだけを考えても、政府がGEの破綻を許すとは考えられない。GEの中核事業─ヘルスケア、ジェットエンジン、発電タービン、そしてメディア─も堅実だと思われていたし、GEのない米国は考えられなかった。人びとはGEにはリアルな顧客、リアルな資産、リアルな事業があり、それがキャッシュを生み出していると考えていたのである。

 だが、現実はそうではなかった。GEは問題を抱え、救いの手を必要としていた。