多くの日本人は気づいていなかったが、2000年以降のアメリカでこの100年起こっていなかった異変が進行していた。発明王・エジソンが興した、決して沈むことがなかったアメリカの魂と言える会社の一社、ゼネラル・エレクトリック(GE)がみるみるその企業価値を失ってしまったのだ。同社が秘密主義であることもあり、その理由はビジネス界の謎であった。ビル・ゲイツも「大きく成功した企業がなぜ失敗するのかが知りたかった」と語っている。その秘密を20数年にわたって追い続けてきたウォール・ストリート・ジャーナルの記者が暴露したのが本書『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』(ダイヤモンド社刊)だ。電機、重工業業界のリーダー企業だったこともあり、常に日本企業のお手本だった巨大企業の内部で何が起きていたのか? GEの黄金期を経て祝福されてリタイアしたジャック・ウェルチ。その大事なセレモニーの日に、歴史的な悲劇が襲った。(訳:御立英史)
祝福にあふれたセレモニーになるはずだった
ウェルチはGEで40年間、そのうちの半分をCEOとして過ごしたのち、セレブとして引退した。トップの座を引き継いだあとの最初の1週間、ニューヨークのトランプ・タワーの47階にある豪勢なアパートで過ごした。GEが所有し、トランプの名を冠して再開発したビルだ。セントラルパークの角に位置するウェルチの豪邸からは、マンハッタンの中心にある緑の海が一望できる。
前週の金曜日、GEの取締役会はウェルチ会長の下で最後の会議を開き、ウェルチは最後の公務として、後継者のジェフ・イメルトを正式に任命した。その後、自身がつくり変えたGE文化の中心地、クロトンビルで退任パーティーが開かれた。
2001年9月11日火曜の朝、ニューヨークの空は青く晴れ渡っていた。ウェルチは長らくこの日を待ち望んでいた。著書『ジャック・ウェルチ わが経営』(日経BP)─おそらく出版史上最も待望されているビジネス書─が発売されることになっていて、ウェルチはNBCの『トゥデイ』に出演して、販売に弾みをつけることになっていた。
マット・ラウアーをこの番組の司会者にしたのがウェルチなので─その話は著書にも書いていた─歓迎してもらえることは間違いなかった。不調に終わったハネウェルとの交渉については、だれも厳しい質問をしないだろう。本は書きはじめる前からヒットが約束されていた。だれもが、GE帝国をつくった頭脳から内部事情を聞きたがっていた。
ウェルチの実績は伝説の域に達し、彼の周りには賛辞を惜しまない人びとが集まった。ハネウェル買収の失敗や、ここ数ヵ月の株価下落はあるものの、ウェルチはその成功を讃えられ、実業界では聖人のように扱われた。ニューヨーク証券取引所では、彼の経歴を讃える晩餐会とカクテルパーティーが開かれた。ウェルチの信奉者たちにとって、ここ10年のGEの大成功は、彼が構築したマネジメント・マシンの有効性の証左だった。ウェルチは究極のリーダーであり、次の世代が見習うべきモデルだった。
ウェルチは、1980年代から90年代にかけてのGEの株価上昇によって、高卒の工場労働者が億万長者になったと語った。GEは昔から従業員に自社株の保有を奨励しており、GE株のパフォーマンスが他社を凌駕していたときに、社内預金プランを提供して割引価格で購入させたり、購入時に補助金を出したりした。
GEの神秘性は、ウェルチという存在によってさらに高められた。100年以上の歴史を持つ工業の会社を情報化時代にふさわしく変身させたリーダーとして、ウェルチはメディアからもウォール街からも崇拝され、知らない人はいない有名人になった。全国ネットの朝のテレビ番組に出演することに何の違和感もなかった。
最初の旅客機が世界貿易センターに突っ込んだとき、ウェルチはGEビルの向かいにあるロックフェラー・プラザ2にいて、『トゥデイ』の生放送が始まるのを待っていた。しかし、その日、ウェルチの姿がテレビに映ることはなかった。
世界中のテレビのチャンネルが、ニューヨーク、ワシントン、ペンシルバニアの同時多発テロの生中継に合わされ、マンハッタンの携帯電話ネットワークが通話の洪水でパンクしているさなか、米国で最も有名なボスであるウェルチは、おぼつかない足取りで49番街の角に立った。南を見通せる場所から、動きを止めた大通りの南に立ちのぼる巨大な煙と炎を、涙を流しながら呆然と見つめる何十万人ものニューヨーカーの一人になった。6番街の歩道の上で、周囲の大勢の人びとと同じように、情報から遮断された。
ケーブルテレビでは噂や憶測が流れたが、何件の攻撃があったのか、さらにあるのか、だれにもわからなかった。戦闘機の轟音がニューヨークの青い空を揺らした。
その瞬間ウェルチには、自分の本の発売が「これ以上なく愚かで、どうでもいいこと」に思えた。
不穏な雲行き
イメルトがCEOに就任して最初の火曜日の朝、シアトルに日が昇った。世界最大の飛行機メーカーであり、GEの最重要顧客であるボーイングを訪問するため、イメルトは西海岸に来ていた。
西海岸標準時の時計に従って、イメルトは朝の日課をこなしていた。ホテルのジムのマシンで運動していたとき、2機目の飛行機が突入したノースタワーの地獄絵がテレビに映し出された。報道記者たちの見解は、これが事故ということはありえないと一致した。空の旅が停止され、いつ解除されるかわからなかった。イメルトは就任4日目に、シアトルに足止めされてしまったことに気づいた。それは全米各地にいるほかの幹部たちにとっても同じことだった。
新CEOは、すぐに各事業部と取締役会に電話をかけた。ウェルチにも電話でアドバイスを求めた。就任早々、全社に大きな影響を与える世界的災厄に直面したイメルトは、これにどう対応するかで自分の評価が決まると思った。戦時でも平時でも繁栄し続けたGEという要塞にとっても、試練の時だった。
ランニングマシンの上でニュースを見た瞬間から、イメルトはGEが深刻な打撃を受けることを覚悟した。GEの保険事業は破壊されたビルの損害を補償する会社の一つであり、テレビ事業は広告収入の減少と報道取材費の増加に見舞われる。すべての飛行機が地上に釘付けになったことで、交換部品の販売も、修理やメンテナンスの注文もなくなるだろう。
しかし、真の影響はもっと深刻だった。景気はすでに10年ぶりの後退期に入っており、GEには抗いようのない圧力がかかっていたが、同時多発テロはその後退をさらに悪化させることになる。