経営の神様稲盛和夫#3Photo:JIJI

2022年8月、京セラを創業し、経営破綻した日本航空の再建を主導した稲盛和夫氏が亡くなった。すべての判断基準は「人間として何が正しいか」──。多分に宗教色を帯びた稲盛氏の経営哲学はどこから来たのか。松下幸之助氏や稲盛氏などの経営思想を研究する専門家が分析する。(川上恒雄)

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「稲盛哲学」は
いかにして形成されたか

 稲盛和夫氏の著作『生き方』(サンマーク出版)が、2004年の刊行から今もなお売れ続けている。そのほかの既刊書も、ロングセラーが多いと聞く。また、日本国内ばかりでなく、中国や韓国でも高い人気を得ているそうだ。

 経営者としての手腕のみならず、幾多の試練を乗り越えてきた同氏の人生経験と深い思索に裏打ちされた「稲盛哲学」の魅力が、多くの人々を引きつけるのだろう。

 その一方で、稲盛氏の経営者としての力量は認めるものの、「稲盛哲学」にはどうもなじめないという向きもある。理由は人によってさまざまと思われるが、その一つとして「稲盛哲学」に宗教色が見て取れることが挙げられよう。

 しかし、宗教に対して抵抗感がある人にとっても、「稲盛哲学」の背景や文脈を読み解いていけば、稲盛氏の宗教的観念は、日本人にとって比較的なじみのあるものだということがわかってくる。また、同氏の考え抜く姿勢が、宗教の領域にまで足を踏み込ませたと思われる。

 稲盛氏の宗教といえば、禅を思い浮かべる人が多いだろう。1997年に、西片擔雪(にしかた・たんせつ)老師の京都・円福寺(臨済宗妙心寺派)で得度し、当時はマスコミにも広く取り上げられた。なお、2006年に亡くなった西片老師は、もともと稲盛氏の知人の書生であり、長らく稲盛氏の精神的アドバイザーのような存在だった。そういう人間関係もあって、禅に関心を持ったのだろう。

 ただ、稲盛氏の宗教に対する関心は、禅に始まったのではない。「稲盛哲学」の宗教的背景を理解しようとすれば、同氏の人生を、鹿児島時代の幼少期にまでさかのぼる必要がある。