山上容疑者の銃弾で変わった日本は「とっくにテロに屈している」という現実Photo:Anadolu Agency/gettyimages

山上容疑者の「一人勝ち」は「日本はテロに屈した」ということ

「まさか、ここまでうまくいくとは思わなかったな」と、拘置所の山上徹也容疑者はそんな風にほくそ笑んでいるかもしれない。

 自分が事件を起こすまでは誰も見向きもしなかった旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の悪質性に国民の関心が集まり、激しく糾弾されるようになっているからだ。

 安倍元首相殺害の動機については未だに明らかになっていないが、山上容疑者が自身の家庭を崩壊させた旧統一教会に深い恨みを抱いていたことは間違いない。その怨恨が事件にも影響を与えたと言われている。

 つまり、旧統一教会を徹底糾弾する今の日本社会は、山上容疑者が夢にまで見た理想の世界なのだ。拘置所で新聞や週刊誌を読んだ彼は、自分が成し遂げた「完全勝利」に酔いしれているに違いない。

「あんな卑劣な犯行をして極刑だと言われているのに、勝ったも負けたもないだろ」と思うかもしれないが、安倍元首相の殺害から旧統一教会問題まで冷静に振り返ると、どう見ても山上容疑者の「一人勝ち」だ。

 真相が明らかになればなるほど、教団だけではなく、日本政府、警察、政治家、マスコミなどが国民の信用を失っているのに対して、山上容疑者だけは評価が上がっているからだ。

 同情論はもちろん、英雄視するような声まで出てきて、減刑の嘆願やカンパも日増しに増えている。また、手記の出版や、彼を主人公とした映画などの「メディア化」の動きも盛り上がっている。死屍累々の旧統一教会問題で、山上容疑者だけが「得」をしている。

 これは、日本的にはこれはかなりマズい。「山上容疑者の一人勝ち」という現象は、「日本はテロに屈している」という事実を我々国民が受け入れてしまっていることでもあるからだ。