N・S(当時26歳) 高校時代に社会科学研究会に入っていたが、地味な生徒で学生運動の活動家ではなかった。昭和49年5月に東京都台東区蔵前の中央倉庫に採用され、同12月真面目な勤務ぶりが認められ正社員となる。無断欠勤もなく同僚たちは口をそろえて「口数の少ない、いい人だった」という。

Y・K(当時27歳) 中学時代の成績は上位であり、性格的には「内向性のおとなしい」ほうであり、後に爆破グループに関係するなどとはだれしもが予想できなかった。

K・S(当時27歳) 都立大学社会学科在学中に大学紛争の火が燃え上がったが、活動家の中に彼の名前はない。昭和49年末、京王線調布駅前の喫茶店に勤務。朝8時半から夕方5時までの勤務をきちんと勤めた。店に友人らしいものが訪れたこともない。

Y・Y(当時24歳) 昭和48年北里大学卒業。朝日生命成人病研究所に検査技師として精勤。研究所の労組にも加わっていたが、目立った活動はしなかった。

S・D、A・D(当時共に26歳) Sは法政大学史学科を三年で中退後、日本雑誌販売に勤務。A子は星薬科大学に推薦入学するほど高校時代から成績がよかった。大学卒業後、事件当時は製薬会社に勤めていた。5人きょうだいの末子で、スポーツ万能の明るい人物だった。警官でさえ、「きれいな感じのいい奥さん」という印象を持った。

T・K(当時26歳) 住んでいたアパートは14世帯だが、いちばん家賃の払いがよく、短髪のきちんとした身なりで、近所の人にも愛想がよかった。

M・A(当時24歳) 高校時代の成績はトップグループ。クラスでの信望は厚く、性格は控えめ。両親とも高校の教員。M子が住んでいたアパートの管理人は「つつましやかな、どこにでもいる女学生」の印象を語っている。

――この8名の簡単な履歴を読んでいると、実に平凡な人物像が浮かび、三菱重工、間組などを次々に爆破した犯人像のこれといったデータを得るのが困難なほどだ。だが、これらのデータをさらに絞って幾つかの抽出を行ってみよう。

(1)彼らはいずれも社会の落伍者でもなく、いわゆる無法者でもない。逆に彼らは模範的な中流家庭の子弟であり、社会生活態度も平均的な市民のそれと遜色がない。むしろ真面目すぎるほどである。

(2)彼らの多くは25歳以上であり、結婚をしているのが2組ある。血気にはやる年ごろでもヤケッパチになる理由もない。普通、日本人は23~24歳を境にして分別能力は飛躍的に上昇するものである。

 彼らの行動は、青春に特有な酒なしの陶酔による行動とは考えられない。彼らの行動の基準点には確固たる信念、イデオロギーがあるとみなければならない。さらに留意すべきは、大学在学中にこれというほどの活動歴がない点である。だから、彼らに学生時代の惰性ないしは発展としての活動を続ける契機をみつけるのは難しい。

 逆にいえば、自己批判的に平均的な市民生活を克服する理由もないように思える。彼らは社会の構成員として就職し、結婚生活を続けていたのだ。彼らを行動に駆り立てた信念、イデオロギーといったものは、平穏な市民生活を捨ててさえなお悔いのないものであるはずだ。

(3)では、彼らは平凡な市民を装った狂気の人物かあるいは精神異常者なのか。否である。おおむねこの種の事件が突出するたびに、社会心理学者や異常心理の専門家はもっともらしい論評を加えるが、はたして彼らの指摘はいつも的を射たものであろうか。

 もし、彼らが変わった人物であれば、きちんとした市民生活をこれほど長期にわたって維持することが可能であろうか。彼らは変わった人物でもない。――これらの結論はもっと深いところで分析されなければならない。すでに多くの政治学者や社会学者(代表的なものとしては、ノイマン)によって分析されているように、ナチスを生んだ社会的条件は社会の底辺におけるアノミーであるとされている。

 たとえば、「ナチス指導者は本来の無法者であった」といわれている。指導者層のみならず、底辺において運動を推進した党員、支持者の多くも零落した無法者や落伍者であった。彼らの間に蔓延するアノミー状況から巧妙にエネルギーを汲み上げてナチスは成長した。このナチスの場合と狼グループの思想と行動を比較するとき、後者がいかに戦慄すべき社会科学的意味合いを有するかが明らかになる。

※本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集して掲載しています。