全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
世界史を揺るがすほど影響力の大きい歴史人物は、暗殺によって命を奪われてしまうことがある。暗殺は特定の目的をもって遂行されるものだが、暗殺後に歴史がどう変化したかは意外と知られていない。本書には、キーパーソンだったがゆえに、暗殺によって生涯を閉じた歴史人物たちも数多く登場する。そのなかから今回は史上最年少となる43歳でアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディの暗殺事件をピックアップ。著述家・偉人研究家の真山知幸氏に寄稿していただいた。

14歳からわかる「ケネディ大統領の暗殺」がベトナム戦争を泥沼化させたという悲劇Photo: Adobe Stock

ケネディ暗殺、激動の数日間

 世界史に深く刻まれるほどの大事件が起きると、センセーショナルに報じられて、どうしても細部の印象が残りにくくなります。

 ケネディの暗殺については、テレビ番組など数々のメディアで取り上げられてきました。暗殺時の動画を何らかのかたちで目にしている人も多いことでしょう。

 しかし、暗殺当日の動きを改めて振り返ってみると、いかに激動の数日間だったか。事件の特異性を改めて知ることができます。ケネディ暗殺後の展開も含めて見ていきましょう。

空港到着から約1時間後に暗殺された

 1963年11月22日11時40分、ジョン・F・ケネディが妻のジャクリーンとともに、テキサス州ダラスで遊説を行うために、ラブフィールド空港に降り立つと、熱烈な歓迎を受けました。

 ピンクのスーツをまとったジャクリーンには、空港でバラの花束が贈られています。

 まさか、この約1時間後にケネディが凶弾に倒れることなど、誰が予想したでしょうか。

騒然となった自動車パレード

 ケネディ夫妻はオープンタイプのキャデラックの後部座席に乗り込みました。すぐ前の補助席には、テキサス州知事のジョン・コナリーと妻ネリーが座っています。運転手の横の助手席にはボディガードが乗りました。

 自動車の後ろに4台の白バイを走らせて、さらにその後ろに、数台の護衛用の車、そして、副大統領リンドン・B・ジョンソンと妻の車、地元の要人たちの車、マスコミの車が続きます。

 市民たちが見物に押しかけるなか、ダラス市内では自動車パレードが行われました。目的地はダラス・トレードセンターです。何事もなければ、そこで昼飯会とスピーチが行われる予定でした。しかし、ケネディが目的地に着くことはありませんでした。

心配されていたダラス行き

 ケネディがテキサス州の遊説ツアーに出かけたのは、1964年の大統領選挙を見据えてのことでした。

 再選するためには、幅広い州から支持を得る必要があります。

 だが、当時のテキサスは保守的な土地柄で、人種差別も公然と行われていました。特にアフリカ系アメリカ人に対する差別が強い土地柄で、WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)に属さないケネディへの反発は強かったのです。

バイデン大統領との共通点

 というのも、ケネディはアイルランド系であり、さらにカトリック教徒という特異的な存在でした。伝統的にプロテスタントの勢力が強いアメリカにおいて、カトリック教徒がアメリカ大統領になったのはケネディが初めて。

 ケネディ以外で、カトリック系で大統領になったのは、現職のジョー・バイデン大統領だけです。

 反発が予想されたため、ケネディのテキサス州行きを止める声も多かったのですが、自分の敵が多い土地だからこそ、支持を広げられる余地があるというもの。

 ケネディは夫人を伴い、遊説に向かうことにしました。

咄嗟にボンネットによじ登った夫人

 だが、ケネディのテキサス行きを危惧した周囲の不安が、現実となってしまいます。

 パレードで大統領夫妻が笑顔で手を振りながら、群衆の歓迎に応えていると12時30分、花火のような音が響き渡ります。

 ケネディが銃で撃たれたのです。車がエルム通りを進んでいたときのことでした。

 撃たれたケネディが両手を喉にあて、苦しそうに頭を下向きにすると、ジャクリーンは心配そうにケネディを覗き込みます。

 その瞬間、2発目がケネディの側頭部を貫通。頭部から血が噴き出したケネディは、上半身を左後方にのけぞらせて、ジャクリーンがいた左側に倒れ込みました。

 突然のことにジャクリーンは、オープンカー後部のボンネットによじ登りますが、ボディガードによって座席に押し戻されています。

 このときにジャクリーンは飛び散ったケネディの脳や頭蓋を拾おうとした……事件に直面した者からは、そんな証言も飛び出しましたが、時間が経つにつれて「単に逃げようとしたのだ」と否定的な意見が増えていきます。

 そんな世論の移り変わりは、ケネディ暗殺から5年後に、ジャクリーンが富豪の海運王オナシスと再婚したことと無関係ではないでしょう。