リクルートでぶつかった「分厚い壁」

 私が、「ディープ・スキル」の重要性を意識し始めたのは、新卒でリクルートに入社して5年が過ぎた頃のことです。

 入社当初、営業部門に配属された私は、ただひたすらお客さまに喜んでいただける施策を考え、行動量を最大化することによって、社内でもトップクラスの営業成績を収めることに成功。当時は、商品知識を得ることと営業スキルを高めることのみに集中すればよく、「ディープ・スキル」の重要性に気づかされるようなことはほぼありませんでした。

 しかし、社内から選抜される社費留学制度を活用して、早稲田大学ビジネススクールを修了したのち、希望が叶って新規事業開発室に配属されてから、私は分厚い壁に何度もぶつかるようになりました。

 リクルートは、よく知られるように数々の新規事業を成功させてきた企業です。

 ほかの企業に比べれば、格段に新規事業を実現しやすい社内風土に恵まれていたはずですが、私にとってはそこにはいくつもの壁がありました。

 例えば、当時、社会に広がりつつあったインターネットを活用した事業提案をしようとすれば、紙媒体による既存事業とのバッティングが避けられません。その軋轢を乗り越えるのは、私にとっては非常に難しいことでした。渾身の力でまとめ上げた事業企画がいくつも却下され、何度も涙を呑みました。そのたびに、自分の無力を噛み締めたものです。

さまざまな軋轢によって
鍛えられた「ディープ・スキル」

 一方、新規事業開発室の実績豊富な上司や先輩は、さまざまなステークホルダーに目配りをしながら、巧みに社内調整を進めていました。彼らの事業提案そのものが優れていたのは言うまでもありませんが、それ以上に、人と組織を動かす「実行力」において彼らは優れていたのです。

 その姿を間近に見ながら、私は、「ディープ・スキル」の存在と、その重要性を強く意識せざるを得ませんでした。そして、「人間心理」や「組織力学」に目を凝らすとともに、見よう見まねで自分なりの「ディープ・スキル」を磨き始めました。

 その後、インターネット黎明期に立ち上がった生活総合情報サイト「All About(オールアバウト)」の創業メンバーのひとりとして指名され、事業企画責任者として従事しました。当時、世の中にない新しいビジネスモデルを確立し、創業から5年でJASDAQ(現・東京証券取引所スタンダード市場)上場というプロセスに立ち会うことができました。

 この間も、さまざまな軋轢を経験しました。

 私たちが進めようとしていたビジネスモデルに米国の株主から強い異論が唱えられたこともありましたし、部署間の意見対立に頭を悩ませたこともあります。そのような局面を打開していくのは骨の折れることでしたが、そのおかげで「ディープ・スキル」を鍛えることができたと思います。

4000人のビジネスパーソンの
「成功」と「失敗」から学んだこと

 そして、「オールアバウト」のJASDAQへの上場を果たし、10年間事業部長などを務めたのちに退職。企業における社内起業をサポートすることに特化したコンサルタントとして独立しました。

 おかげさまで、大手企業を中心に、100社、2000案件を超える新規事業の検討を支援する機会に恵まれ、4000人を超える新規事業担当者とともに知恵を絞り、汗をかき、伴走してきました。

 その中で痛感させられたことがあります。

 それは、現場の担当者にとって最大の悩みは、事業提案を取りまとめることではないということです。

 いや、もちろん、それも難題であることは事実です。しかし、お客さまの気持ちに寄り添い、その「不」をしっかりと見極めることさえできれば、精度の高い、魅力的な事業提案をつくり上げることは可能です。この部分については、私も強力にサポートすることができます。

 問題はそのあとです。

 事業提案について社内承認を取り付け、関係者や関係部署の協力を得ながら実行するプロセス。つまり、人と組織を動かす「ディープ・スキル」が求められる局面において、多くの担当者が悩み、苦しむのです。そして、「ディープ・スキル」の巧拙が、新規事業の「成否」を決すると言っても過言ではないのです。

 だからこそ、私自身が経験し、目撃してきた「成功」と「失敗」から真摯に学び、「ディープ・スキル」に対する見識を深めるべく努めてきました。そのエッセンスを伝えることによって、現場で悩む担当者をサポートすることは、伴走者としての重要な任務だと思うようになりました。