写真:岸田文雄首相取材に応じる岸田文雄首相 Photo:JIJI

北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国を果たして20年の時が流れた。岸田文雄首相は「拉致問題は内閣の最重要課題」と語るが、事態は当時から何も好転していない。北朝鮮からのミサイル発射が日常茶飯事となってしまい、日本上空の通過まで許すなど、日朝関係は最悪の状況だ。小泉政権時代の首相訪朝と拉致問題の進展を振り返り、解決の糸口を探る。(イトモス研究所所長 小倉健一)

小泉政権時代になぜ北朝鮮は
拉致問題解決に前向きだったのか?

 2002年9月、小泉純一郎氏は日本の首相として初めて北朝鮮を訪問した。北朝鮮に拉致された日本人の救出を前提に、日朝の国交正常化に踏み出すことを目指していた。

 金正日総書記(当時)との会談において、北朝鮮側は拉致した日本人について、「5人生存、8人死亡」と報告した。

 それから20年の歳月が過ぎた。1978年に北朝鮮に拉致された蓮池薫・祐木子夫妻、地村保志・富貴恵夫妻、曽我ひとみ氏の5人は、北朝鮮が拉致を認めた20年前の日朝首脳会談の後、02年の10月15日に帰国を果たしたが、それから何一つ動いていない。

 その間、拉致被害者家族は高齢化を迎えていて、家族との再会を果たせぬまま亡くなってしまう人も増えてきた。

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだのは、明治生まれの詩人・中村草田男だ。政府が認定している拉致被害者において初めての拉致が実行されてから45年。小泉元首相の訪朝から20年。過ぎ去っていった時間は、「拉致解決は遠くなりにけり」という憂鬱な気分にさせられる。

 安倍政権、菅政権、そして岸田政権においても拉致問題の解決は、「政権の最重要課題」とされてきた。ただ、表立った動きは第2次安倍政権時代の飯島勲内閣官房参与(特命担当)による13年の訪朝のみだ。

 この訪朝は、安倍政権内でのかん口令には成功したものの、「北朝鮮側のリークにより世界中の報道機関に知れわたることになり、交渉は頓挫してしまった」(第2次安倍政権の官邸関係者)のだという。

 これから拉致問題を解決する方法を発見するのは、困難ではあるが全くヒントがないわけではない。

 当時、なぜ北朝鮮が拉致問題を解決してもいいという前向きな態度を見せたのか。そして、なぜその後に態度を硬直化させてしまったのか。

 この2点がまずは解決への手掛かりになる。