文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。ある日、北朝鮮に拉致された有本恵子さんの手紙が編集部に届きます。そこには普通の女子大生が北朝鮮に拉致された詳細な証拠が書かれていました。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
退社時も捨てられなかった
送り主不明の手紙
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文芸春秋を退社するとき、多くの資料を捨てました。ただ、この手紙だけは、まだ自分で持っていたいと思って、自宅に持ち帰っています。
「友達を通じて仕事が見つかりました。仕事は、market researchといって、外国の商品の値段や需要度などを調べる仕事です」
「今月コペンハーゲンでこの仕事をしている人に会って、詳しい説明を聞くつもりです」
こんな調子で、留学先の出来事を克明に綴り、日本に送っていたのは、後に拉致被害者と認定される有本恵子さん(筆跡鑑定でも、本人の筆跡だとわかっています)。
手紙といっても、手元にあるのは手紙のコピーで、送り主は不明です。ただ、わかっていることは、有本さんから「氏名不詳の親友=送り主」にあてられたものということだけなのですが、この手紙には北朝鮮が仕組んだ、日本人留学生「拉致」の詳細な証拠が残されていると思っています。
有本さんら3人の失踪留学生のことが明らかになったのは、1990年の1月17日、あの「湾岸戦争」の地上戦が始まった日でした。その日、『週刊文春』には「有本恵子さんら3人の失踪留学生」についての詳細な記事が掲載されました。
世間の興味は、どうしても「湾岸戦争」に集中しましたが、記事は週刊誌誌上画期的な「スクープ記事」でした。なにが画期的かというと、国際的なテロ組織が日本人留学生を北朝鮮に連行していった経緯を詳細に記事にし、各国の情報機関やジャーナリストたちを驚かせた「世界的スクープ」だったからです。