妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日になり、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、4年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主にもなり、資産2億5000万円以上を築いた。いまや成長し、就職した息子とふたりで焼鳥屋に行ったとき、これまでの半生を振り返り、「投資家」と「労働者」の話をした。
「サラリーだけで生きられる時代は終わった」「億の資産をつくるにはお金に働いてもらうことだ」「リスクをとらないと得られるものはないぞ」
その投資術を初公開した『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』(ダイヤモンド社)の著者が、サラリーマンになった息子に伝えた「3S+1」とは?(初出:2021年11月5日 ※初出時より再構成しました)
寂しさを埋めるように
“グレた息子”
30年以上前、景気の荒波に左右されず、一生働ける場所として食品メーカーに就職した。息子も同じように考えたらしく、業界は違えど小さな電力関連会社に就職した。東日本大震災で福島第一原子力発電所の事故があったとはいえ、人びとの暮らしを根本から支えているインフラ系は、いまも昔も欠かせない存在だ。
冷静に考えると、息子はよくぞ大学を卒業して就職できたものだと思う。優等生とは、ほど遠い存在だったからだ。前妻の浮気で突如、シングルファーザーになった身としては精一杯頑張ったつもりだが、それでも母親の不在は大きかった。寂しさを埋めるように息子はグレた。
現在の妻とは2007年、自分が41歳のときに再婚した。実の母親と5歳で別れている息子は、2番目の妻とはそりが合わなかった。そして、1つ屋根の下で暮らすのは難しくなり、実家の母に助けてもらった。近所のアパートに、母と息子の2人で住んでもらったのだ。
大喧嘩となり
息子は“包丁”を手にした
喪失感からくる息子のやり場のない怒りは、それでも収まらなかった。住んでいたアパートの5階から、怒りに任せて扇風機を階下に放り投げる事件も起こした。その数、実に3台。下に誰もいなかったのが、不幸中の幸いだった。
あるとき父子で大喧嘩となり、息子はとうとう台所から包丁を持ち出した。さすがに包丁で刺すような真似はしなかったものの、ボディを思い切り殴られ、自分は肋骨を折られてしまった。
グレた息子は不登校気味になり、高校にも満足に通っていなかった。出席日数が足りないと卒業できない。本人に高校を卒業したら大学へ進学して就職するという明確なビジョンはなかったようだが、父親と同じ三流大学でもいいから、大学くらいは入ってほしいと願っていた。
高校の担任を前に
なりふり構わず“土下座”
ある日、仕事を休んで、担任の先生に会うために高校まで出向いた。担任の先生を前に、土下座をして「息子を卒業させてください!」とストレートに頼み込んだ。その親心が効いたのか、それとも担任の教師の慈悲の心が働いたのか、息子は卒業して大学へ進学できた。
大学に進学してから、息子は地元を離れて1人暮らしを始めた。それから息子には驚くような変化が起こった。母親にまだ甘えたい時期に、大人の事情で母親から引き離されたので、本人は誰かに頼りたい、甘えたいという気持ちが強く残っていたのだろう。
高校までは、頼りたくても頼れない、甘えたくても甘えられないという葛藤が怒りに変わり、暴力という形で現れた側面もあったのかもしれない。1人暮らしをするようになり、すべて自分でこなさなくてはならない環境に置かれると、息子も頼りたいとか甘えたいとか、そんなことを言っていられなくなったようだ。
サラリーマンになった息子に伝えた
「3S+1」とは?
こうした環境の変化が、息子の意識を変えた。大学を卒業する頃には、高校時代までの荒れっぷりがウソのように、穏やかな青年に成長した。そして、ついに冒頭でお話しした通り、サラリーマンになった息子とは時折、酒を酌み交わし、世間話をする間柄になった。
株式投資については、いま何を買うべきかといった特定の銘柄の話は一切しない。だが、投資家としての心構えについては折に触れて伝えている。そこでいつも強調しているのは、サラリーマン投資家として生きるうえでは「3S+1」が大事だということ。
3S+1とは、「借金をしない」「スタディ(勉強)をする」「仕事を頑張る」+「働く伴侶を娶る」という意味だ。サラリーマン投資家の先輩の立場から言わせてもらうと、この4つを守っていれば、人生はかなりの確率でうまくいくと思っている。
※本稿は、『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。