日清食品が新規事業として研究・開発を進める「完全栄養食」。「見た目やおいしさはそのままに、カロリーや塩分、糖質、脂質などがコントロールされ、必要な栄養素を全て満たす食」をコンセプトとした夢のような食品である。世界中の企業が「完全栄養食」に取り組む中、なぜ日清食品は“栄養バランス”と“おいしさ”を両立することができたのか。講演会やセミナーには登壇する機会の少ない日清食品の安藤徳隆社長が、マーケティングのOS力を高めるオンライン勉強会「マーケリアルサロン」(ファシリテーターはインサイトフォース取締役の山口義宏氏。ダイヤモンド社主催)のトークイベント「最高にジャンクなのに最高にヘルシーな日清食品の完全栄養食テクノロジーとマーケティング」で語った内容を2回に分けて、ここでは後編をお届けする(敬称略)。

飽食の時代に求められる食品メーカーのミッションとは?

 

安藤徳隆・日清食品社長が語る、世界中で誰も実現できなかった「おいしい完全食」を日清食品が開発できた理由と、目指している未来安藤徳隆
日清食品株式会社 代表取締役社長

1977年大阪府生まれ。2002年に慶應義塾大学大学院修了。祖父である日清食品の創業者・安藤百福の鞄持ちを3年間務めた後、2007年に日清食品入社。2015年に日清食品社長就任。2016年に日清食品ホールディングス代表取締役副社長・COO就任。

前半(前編記事『安藤徳隆・日清食品社長が語る「モノが売れる広告を追求すると、現代アートに近づいていく理由!」ブランド・コミュニケーション戦略の裏側』のブランド・コミュニケーション戦略に続いて、ここからは日清食品が新規事業として取り組んでいる「完全栄養食プロジェクト」について紹介します。

まずは、なぜこの新規事業を始めたのか。

1958年に創業した日清食品は、戦後、食糧不足が健康悪化につながっていた時代に、創業者・安藤百福が誰もが手軽に手に入る食べ物を開発したいとの思いから、インスタントラーメンを発明したのが当社の始まりです。それから64年が経ち、今や世界は飽食の時代です。食べ物が廃棄されるほど飽和していて、多くの人がオーバーカロリーによる健康悪化に悩まされています。この飽食の時代に、食品メーカーに求められるミッションは何か? と考えたことが、このプロジェクトをスタートさせたきっかけです。

現代の食生活は豊かになった反面、「オーバーカロリー」や「隠れ栄養失調」など、新たな課題が生まれてきています。

■オーバーカロリー:
肥満など生活習慣病に関連のある病気により、死亡率と医療費が世界的に増加。世界で20億人以上が過体重か肥満の状態にあり、肥満がもたらす経済的損失は世界で2兆ドル(280兆円)にのぼるといわれる。
■隠れ栄養失調:
間違ったダイエット方法などが原因となり、必要なカロリーや栄養素が不足した状態。摂取カロリーは終戦直後と比較して10%も減少しているほか、20代女性の野菜の摂取量は目標値に対して約40%も不足しているといわれている。

オーバーカロリーの場合は、カロリーの摂取量を減らさなければいけません。一方で、隠れ栄養失調は、必要な栄養素を摂取する必要があります。例えば、カロリーを50%オフすれば、当然ながら体型は整っていきますが、カロリーを半減するということは、含まれている栄養素も半減します。こうした栄養飢餓状態が続くと、インナービューティーが悪化し、将来の健康リスクも増大していきます。

であれば、カロリーは50%オフで、必要な栄養素が過不足なく含まれている食品を日清食品が提供できれば、こうした課題を解決することができる。こうして、「おいしい完全食」の実現に向けたテクノロジーの開発に着手しました。

なぜ完全栄養食に成功した企業が過去にないのか?

日清食品が考える「おいしい完全食」の定義は、以下の3つを満たすものです。

・カロリー、塩分、糖質、脂質をコントロールできる
・整ったPFC(タンパク質、脂質、炭水化物)バランス
・厚生労働省「日本人の食事摂取基準」で設定された33種類の栄養素をバランスよく摂取できる

これまでも「完全栄養食」というコンセプト自体はありましたが、世界を見渡しても成功している企業、商品はいまだにありません。例えば、栄養素の粉末を水やミルク等で溶かして飲むようなものはありますが、栄養補助食品の類に入るもので、食事とはいえません。

成功事例がない最大の理由は、ビタミンやミネラルなどの栄養素が持つ苦みやエグみにあります。栄養素をそのまま食品に入れると、栄養のバランスを取ることはできても、味に影響が出てしまいます。簡単にいうと、不味いので食事として成立しないのです。しかし、日清食品はインスタントラーメンの技術を64年間にわたって磨き続けてきて、味をマスキングする技術、塩分やカロリーをカットしてもおいしさを保つ技術など、様々な食品加工技術をもっていた。だからこそ、「おいしい完全食」を開発することができたのです。

日清食品の社員食堂「おいしい完全食」メニュー

日清食品の社員食堂で出しているメニューを一例としてご紹介します。

「酢豚定食」「とんかつ定食」「スパゲティナポリタン」「欧風カレー」など、いずれも平均500キロカロリーで、食塩相当量は3グラム以下、PFCバランスも完璧で、33種類の栄養素をバランス良く摂取できるうえ、満足感のあるおいしさも実現しています。

安藤徳隆・日清食品社長が語る、世界中で誰も実現できなかった「おいしい完全食」を日清食品が開発できた理由と、目指している未来日清食品の社員食堂のメニュー。「酢豚定食(左上)、とんかつ定食(右上)、スパゲティナポリタン(左下)、欧風カレー(右下)。

例えば、とんかつ定食は1000キロカロリーぐらいあるのが一般的ですが、「おいしい完全食」のとんかつ定食は473キロカロリーと約半分です。とんかつを油で揚げずに熱風乾燥させ、必要最低限の油を霧状にして吹きかけているので、まるで油で揚げたような風味や食感があるのに、カロリーや脂質を大幅にカットしています。

ごはんも、米を一度分解して、余計な糖質や塩分を取り除き、必要なビタミンやミネラルを加えて再合成しています。食塩も、一般的なとんかつ定食には5.3グラム入っていますが、「おいしい完全食」だと2.1グラムと半分以下。飽和脂肪酸も通常13.5グラムが2.2グラムまで抑えることができる。また、一般的なとんかつ定食の場合、マグネシウムやビタミンAなど17項目の栄養素で過不足がありますが、「おいしい完全食」であれば33種類の栄養素すべてのバランスが満たされています。

「おいしい完全食」を食べ続けると、体にどのような影響が出るのか。日清食品では臨床試験を実施し、その結果を日本未病学会学術総会(2020年10月)や日本食品科学工学会(2021年8月)で発表しました。1カ月90食のうち40食を「おいしい完全食」に置き換え、間食や飲酒はOKという条件で試験を行いました。

すると、男性被験者の84%が体重減少し、BMIが25以上の被験者のうち81%が改善。血圧が高めの被験者のうち73%に数値の改善が見られ、仕事のパフォーマンスについても男女を問わず71%の被験者のスコアが向上しています。

フレイルサイクルを止められるか?

バイタルデータにこれだけの改善がみられたことで、「おいしい完全食」は医学界からも注目されています。

慶應義塾大学医学部の伊藤裕教授が提唱されている「メタボリックドミノ」という考え方があります。肥満がきっかけとなって、より深刻な病気がドミノ倒しのように連鎖的に広がっていく状態のことです。食事や運動不足などの生活習慣が乱れると、内臓脂肪が増えていき、さらにインスリン抵抗性が出てくる。ここまで、ドミノは1本道です。そのあとドミノがパラレルで増えてきて、食後高血糖、高血圧、高脂血症を併発、さらには糖尿病や脳卒中、心不全に加速していく。最近では、メタボリックドミノがガンにも関係していることがわかってきました。

「メタボリックドミノ」を1本道の段階で食い止めるため、個々人の体調や生活リズムに応じた栄養バランスの特定が期待されています。予防医療の実現をサポートする新たな「食」の開発を目指し、分子栄養学の見地から「完全栄養食」を進化させるべく、現在、伊藤先生と共同研究に取り組んでいるところです。

また、日本は超高齢社会に入ったといわれており、介護や医療費の負担増が大きな課題となっています。男性の平均寿命は80.77歳ですが、健康寿命は72.14歳と不健康期間が8.63年もある計算です。女性の平均不健康期間は12.22年です。つまり、男女とも健康に問題を抱える期間が約10年もあり、そのことが介護や医療費の負担増に繋がっているのです。

歳をとって食べる量が減ると、栄養低下や体重減少が起こり、その結果、筋肉量と筋力が低下し、活動量はますます減少する。それが、さらなる食欲の減退や食事摂取量の減少を生む……こうした負のスパイラルは「フレイルサイクル」と呼ばれています。この悪循環に陥ると、転倒や骨折、疾病発症リスクが増大し、認知機能低下や社会的孤立につながり、最終的には要介護の状態にまで進んでしまいます。

今や65歳以上の2人に1人以上が、フレイルまたはプレフレイル状態にあるといわれ、その数は2000万人にのぼります。しかし、フレイルを治療する薬はまだありません。フレイルの予防には筋肉と骨の形成が不可欠で、その鍵となる栄養素はタンパク質、ビタミンB6、カルシウム、ビタミンDです。そうであるならば、シニアが食べられる量の食事の中に、必要なカロリーと栄養素がすべて入っている「フレイル対応食」を提供できれば、フレイルサイクルの進行を遅らせることができると考えています。このテクノロジーは、政府や自治体からも注目していただいています。

「健康」には大きなビジネスチャンスがありますが、世界中の企業がしのぎを削る激戦区でもあります。我々が生み出した「完全栄養食テクノロジー」というソリューションが普及すれば、未病対策が進み生活習慣病を防ぐことに繋がります。

日本の、そして世界中の人々に、食を楽しんでもらいたいのはもちろん、健康な人生を歩んでほしいからこそ、日清食品は食のさらなる進化を目指して、これからも邁進しています。