ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」「生きる勇気が湧いてきた」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「自分さえ良ければいい!」残念な人が増えている超意外な理由とは?Photo: Adobe Stock

現代人の危うい思考回路

「あなたが元気なら、私も元気です」というローマ人の手紙でのあいさつをご紹介します。

Si vales, bene est; ego valeo.
あなたが元気ならよかったです。私は元気です。

Si vales, valeo.
あなたが元気なら、私も元気です。

「あなたが安らかであってこそ、私も安心できる」という、相手の安否を先に気遣う彼らのあいさつに、思わず心が温かくなります。

 と同時に、「自分さえよければ、自分が幸せなら……」と、自分のことにしか関心を持たない現代人の生き方を省みて危うさを感じもします。

 しかし、私たちの思考が知らず知らずのうちにこのように変わってしまったのは、人々が善良さを失ったのではなく、誰かを思いやる心の余裕がなくなってきているからだと思います。

 長引く景気の低迷と高い失業率、過酷な労働環境の中で、わが国の若者は恋愛や結婚、出産を諦め、不安な未来の中で余裕を失っています。これは中高年にもいえることです。

 理想の人生を歩むために自らをすり減らし、息もつけず感情を押し殺しています。だから誰かといるよりも一人の気楽さを好むようになります。かくいう私も食事のときはほとんど毎日“おひとりさま”ですが、このような傾向が社会的に一般化されていくのは、よい傾向とは言えないでしょう。

 単身世帯が増えている理由もありますが、若者たちと話していると、「一緒に」「ともに」ということに拒否感を覚えるほど疲れ果てていると感じます。金銭面でも、誰かと一緒にいてお金がかかることに負担を感じているようです。

 ここに、彼らの「自分の懐事情に合わせて必要なものにお金を使い、自分が食べたいとき、飲みたいときにも他人を気にせず楽しみたい」という考えが反映されています。歴史的観点から見ると、よい意味でも悪い意味でも共同体意識が強かった韓国人の意識が、大きな転換期を迎えていると思われます。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)