ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

ラテン語を学ぶと、とてつもなく頭が良くなる理由Photo: Adobe Stock

実生活に役立たない? ラテン語のすごいパワー

 私が西江大学でラテン語の講義を行うことになったとき、実生活に何ら必要のないラテン語の授業が学生に受け入れられるか最初は心配でした。

 ところが、ふたを開けてみたら大盛況で、そうなると今度はなぜ学生たちがラテン語の授業を求めるのかに疑問が湧きました。

 その答えを知ったのは随分後になってからですが、彼らは私の講義を単なるラテン語の授業ではなく「総合人文学科の授業」の感覚で接していたようです。

 授業ではラテン語の文法のみならず、ラテン語を母語とする言語を使用している国々の歴史や文化、法律などを広く取り上げてきたからでしょう。

 事実、外国語をいち早く身につける方法のひとつに、その国の歴史や文化に好奇心や愛情を持つことが挙げられます。まさに「好きこそものの上手なれ」です。

 私自身、ラテン語学習を通じてヨーロッパ社会の学問や文化のさまざまな一面を発見するたびに、知的好奇心が満たされては大きな喜びとなったものです。

 もちろん、ラテン文学やラテン語関連の学問をするなら文法を徹底的にたたき込まなければなりませんが、教養目的で学ぶ学生はそこまでする必要はありません。

 私の授業の最終目標はラテン語を使いこなすことではなく、学生たちにラテン語への興味を植えつけ、ラテン語を通じて思考体系の新たな枠組みを構築してもらいたいというものでした。

 いわば、学生の頭の中に本棚をひとつ作ってあげようというのが、私の授業の目指すところです。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)