プロの囲碁・将棋棋士を
数多く輩出している理由

 戦前の東京で、公立としては最初にできた女学校だった。戦後の学制改革で都立白鴎高校(※「鴎」は、正しくは「メ」の部分が「品」)と改称、男子にも門戸を開いた。2005年度からは、附属中学を併設し、中高一貫教育になった。これも都立高校としては初めてのことだ。

囲碁棋士の一力遼囲碁棋士の一力遼 Photo:JIJI

 囲碁棋士の一力(いちりき)遼が、白鴎高校の出身だ。芝野虎丸(現名人・流星)、許家元と並ぶ「令和三羽ガラス」の一人だ。

 一力は1997年6月に、東北地方のブロック紙である河北新報社(宮城・仙台市)の創業者一族として生まれた。5歳で囲碁を覚え、仙台市の小学校から上京し、白鴎高校附属中学に入学、日本棋院に入段してプロ入りし初段になった。

 棋聖戦・王座戦・天元戦の最年少挑戦記録など、多数の最年少記録を保持している。20年には九段になり、22年3月には囲碁界七大タイトルの最高位とされる「棋聖」を獲得した。タイトル獲得数はこれまでで16を数える。

 白鴎高校から早稲田大社会学部に進学、卒業後は河北新報社の新聞記者となり、プロ棋士との二足のわらじを履いている。

 ほかにもいる。94年生まれの平田智也は白鴎高校1年の時に、日本棋院東京本部の囲碁棋士になった。現在は七段だ。将棋棋士の七段・三枚堂達也とは同期卒の友人だ。

 平田より1学年後輩の将棋棋士・佐々木勇気は、白鴎高校1年の時にプロデビューした。現在七段だ。