「令和」の名付け親となった
国文学者の中西進
「附属」の愛称で、広島市民の間では親しまれている。国立の旧制中学は戦前、三つしかなかったが、その一つが広島高等師範学校附属中学、現在の広島大学附属高校(広島市南区)だ。明治以来の伝統に支えられ、経済界や官界、文化人として活躍した卒業生を、たくさん輩出している。
「附属」で学んだ生徒でこの数年、最も話題になった人物は、国文学者で文化勲章受章の中西進だ。「平成」のあと248番目の元号として、2019年5月1日から「令和」が始まった。その名付け親となったのが中西だ。
「令和」の言葉が採られたのは、わが国最古の歌集「万葉集」に収められた「梅花の歌三十二首」の序文だ。中西は万葉集研究の第一人者で、「令和」の新元号は中西が考案したとみられている。
中西は広島高等師範学校附属中学に2年間在籍し、旧制の都立武蔵中学(現武蔵丘高校)を経て東京大に進学、大阪女子大学長、京都市立芸術大学長などを務め、多くの大学で教鞭をとった。1929年8月生まれだ。