猪熊建夫
第214回
関西で高級住宅地として知られる大阪府池田市。大阪教育大学附属高校池田校舎は1学年160人ほどのこぢんまりとした高校で、男女共学の中高一貫教育だ。

第213回
津軽家10万石が領する城下町だった青森県弘前市。弘前高校は青森県で初めての公立中学校として設立され、140年余の伝統を誇る。略称は「弘高(ひろこう)」だ。

第212回
和歌山県の最南端にある新宮市。明治以来、有為な人材を多数、育んできた街だ。その核になったのが、旧制和歌山県立新宮中学・現新宮高校だ。

第211回
「鉄のまち」として発展し、北海道を代表する重化学工業・港湾都市の室蘭。そこに大正年間に創立された北海道庁立室蘭中学校を前身とするのが、北海道室蘭栄高校だ。多くの人材を、世に送り出してきた。

第210回
日本最初の公立女子学校をルーツとする京都府立鴨沂高校。著名な芸能人を輩出していることに加え、文化人、学問・研究などの分野でも多くの逸材を送り出してきた。日本画家の上村淳之(あつし)が、2024年11月に91歳で死去した。奈良市郊外にある自宅兼アトリエで約70種・600羽の鳥を飼い、花鳥画に取り組んだ。鳥と共に歩んだ画家人生だった。

第209回
「おうき」高校という。「沂」とは水ぎわの意味だ。京都市の中心部を北から南に流れる鴨川の西500メートルに、校地がある。1872年創立の、日本最初の公立女学校を前身とする。開校150余年の伝統を誇る。

山口県南西部の瀬戸内海に面した宇部市。宇部興産に代表される工業都市として栄えてきた。大正時代からの伝統を誇る県立宇部高校は、学者、文化人、経営者として大成した卒業生を、送り出してきた。

第207回
兵庫県芦屋市にある中高一貫の私立6年制だ。阪神間の裕福な家庭の男子が通う、いわゆる「おぼっちゃん」の学園として知られてきた。

第206回
東京都渋谷区にある都立高校だ。学校名に地名が入っていないことでも連想できるが、「天下の一商」と呼ばれた伝統校だ。東京府立の旧制中学だった五中(現小石川中等教育学校)と同時期の1918年にスタートした。

第205回
江戸時代に高知は、土佐藩20万2000石が領する雄藩だった。高知県立高知追手前高校は、その高知城のすぐ東側の追手筋にある。全国各地の県庁所在地に設置された「県立一中」伝統校の高知県版だ。

第204回
横浜市中区にある中高一貫の私立女子校だ。1870年の創立で、私立女子学院中・高校(東京都千代田区)と並び、女子校としては日本最古の伝統を誇る。

第203回
難読校だ。「あさか」高校という。福島県のほぼ中央、県内一の商業都市・郡山市にある県立高校だ。福島県として初めての公立中学である旧制福島中学校を前身としている。略称は「安高」だ。

第202回
大阪市の南部・阿倍野区にある私立の中高一貫校だ。日本聖公会系のキリスト教主義の学校で、男女共学。140年余の校歴があり、文芸、経済、スポーツなどの分野で活躍する卒業生を多数、送り出してきた。

第201回
修猷館高校は福岡市にある男女共学の県立高校だ。240年余の伝統を背景に、政官・経済界などに多くの人材を送り込んできたが、文化人、学者などとして活躍する卒業生も数多い。文芸で気を吐いている。

第200回
福岡市早良区にある福岡県立高校だ。政官界のみならず、経済界で足跡を残している卒業生も数多い。全国ベースで活躍している企業経営者はもちろん、九州・山口県の経済界に尽くす卒業生も少なからずいる。

第199回
福岡市早良区にある県立高校だ。江戸時代にできた藩校「修猷館(しゅうゆうかん)」を令和の現在に至るまで名称として使用してきた高校だ。240年余の校歴を誇り、多くの俊英を世に送り出している。

第198回
青森県東部にあり県内2番目の人口を有する八戸(はちのへ)市。県立八戸高校は、創立130年を超える伝統校で、政官・学者・文化人など多くの分野で逸材を送り出している。

第197回
東京都中野区にある都立高校だ。「むさしがおか高校」と読む。前身は旧制東京府立第二十一中学校で、84年の校歴がある。文化人として活躍する卒業生を多数、輩出している。

第196回
広島県の南西部に位置し、瀬戸内海に面する呉市。天然の良港を有し、「軍都」と言われた。呉三津田高校は、市の歴史を反映した明治時代からの伝統を誇る県立高校だ。26年度に創立120周年を迎える。

第195回
大阪府北部の豊中市にある男女共学の府立高校だ。前身は、戦前に府立高等女学校として設立された。文芸や音楽、芸能界で活躍するOG・OBが目立つ。
