2002年11月上旬、本田美奈子さんは日本コロムビアのクラシック・プロデューサー岡野博行さんと最初の打ち合わせに臨んだ。選曲、編曲、録音、という手順を確認し、まずは「お互いを理解するために」(岡野さん)、本田さんは研究用として編集していた「MINAKOえとせとらテープ」(93-95年)から、そして96年以降のCDコレクションから自分の楽曲イメージを伝えるために102曲を選び、MD9枚に再編集して渡した。その後、岡野さんも候補曲となるクラシックの楽曲を、やはり100曲ほどCD-Rで送っている。

発売10周年を迎えて今も心が震える歌声

岡野博行さんが渡した候補曲100曲が収録されたCD-Rを受け取る本田美奈子さん(2002年11月)

 本田さんが岡野さんへ送ったMDの102曲は、選曲の参考というより、「音楽自分史」のようなカタログであり、女性ヴォーカリストによる同時代の研究記録である。これはいずれ、くわしく分析してみたい。

 打ち合わせは11月から12月にかけて何度も行なわれた。

 当初から本田さんは2つのポイントをあげている。第1に、日本語の歌詞で歌いたいこと、第2に、すべてを「手作り」で仕上げること。

 「様々な響の中でも一番大切にしたのは、『心の響き』です。歌う私が心で感じ、感じれば感じる程、色々な表現が生まれ、生きている歌となり、その歌が聞いて下さった方々の心へ響いてくれたら…という願いを込めたテーマです。もう1つのテーマは『手作り』。このテーマは、岩谷時子先生から教えて頂いた宝物の言葉の1つです」(本田美奈子「Blue Spring Club」2003年6月号)

 日本語詞は、「ミス・サイゴン」(1992-93)以来師事し、アルバム「Junction」(1994)のプロデューサーでもあった岩谷時子さん(1916-)に依頼することになった。

「手作り」とは、技術的な打ち合わせまで、本田さん自身がすべての作業に参加し、心を込めてていねいに作っていく、という意味である。これは日本フォノグラム(マーキュリー)のプロデューサー(当時)牧田和男さんが「晴れときどきくもり」(1995)の制作時に指示していた点だから、本田さんの周囲では共有されていた考え方だったようだ。

 編曲、録音は2003年1月から3月にかけて行なわれた。すべての楽曲のアレンジは井上鑑さん(1953-)による。井上さんはポップスの作曲家、編曲家、キーボード奏者として著名だが、もともと桐朋学園大学作曲科出身で、クラシックに精通している。

 岡野さんは、「どちらかというとウェットな本田さんに対して、ドライな音楽性をもった井上さんの組み合わせが最適だと考えました」と語る。

 選曲は岡野さんが選んだ約100曲を元に、本田美奈子さん、高杉敬二さん、そして岡野さんの3人が打ち合わせを何度も繰り返して決めていった。

 実際の作業はこう行なわれた。本田美奈子さんがファンクラブ会報に書いている。

 「一緒に作ってくれるスタッフと、人々に愛され、育ち、残り続けるアルバムを作るために、何回も話し合いました。その中でも大切なのが選曲です。岡野さんが100曲を越える名曲を用意してくれて、何度も聞きながら曲をセレクトして、セレクトした楽曲を、アレンジャーの井上鑑さんのスタジオに行き、色々なkeyで歌ってみたり、録音して聞いてみたり、そんな事を何度か繰り返して、私に合う曲を探しました」(本田美奈子「Blue Spring Club」2003年6月号)

 3月にジャケットやプロモーション用の撮影、販促計画の立案が進み、アルバムのタイトルは「AVE MARIA」と決まった。「AVE MARIA」は5月21日に日本コロムビアから発売された。今年(2013年)は発売後ちょうど10周年にあたる。