「お客様に、私は殺せません!」
ヤクザとしてみれば「はあ?」という感じでしょう。
あとから聞けば吹きだすようなセリフかもしれません。
でも、私は必死。ドラマだとしたら、あまりにもクサいセリフを私は再び大真面目に叫んでいました。
「お客様に、私は殺せませんっ!」
一瞬の間があって、男の表情がふっと緩みます。
「支配人さん、……あんたすげぇなあ」
それから数時間、私は私に心を許したその方の身の上話をお聞きしました。
聞けば、組を破門になったばかりで自暴自棄になっていたそうです。
不安や焦燥、孤独感が、宿泊をお断りしたことをきっかけに怒りに変わってしまったのでしょう。落ち着いたようでしたので、私は新宿駅まで歩いて送っていき、そこでお別れしました。
「がんばってくださいね」
「おう、支配人も体に気をつけてな」
私どものホテルは、ヤクザをお泊めすることはできません。
でも、一歩仕事を離れれば、私たちは人間同志なのです。
きっとその男性は長い間、脅かしただけでおびえ、なんでも言うことを聞く人々の姿を見てきたのでしょう。
いつしかそれが当たり前のようになってしまい、恫喝が一般社会との「コミュニケーション」の一つになってしまったのだと思います。
しかし一方で、力で脅せば脅すほど人は離れていくのも道理です。
彼も力による無理を重ねていくうちに、社会からの疎外感を味わっていたのでしょう。
加えて、任侠の世界からも破門され、彼は行き場を失ったのです。
そこへ、過剰に怖がりもせず、素のままで対応した私が現れた。彼も心のどこかで、ほっとした気持ちになったのだろうと思います。