新しい日本銀行総裁に経済学者で共立女子大教授の植田和男氏が起用されることになった。植田氏は初の経済学者出身の日銀総裁となるが、財務省や日銀という最強組織の論理が崩れたという意味で、今回の「選ばれた方」には重要な意味がある。そして、メディアでは黒田日銀の異次元緩和の副作用や出口ばかりが議論されているが、肝心なのは稼ぐ力を回復、デフレ脱却を早急に実現することだ。この10年間の政府の無策こそ、検証すべきだろう。(名古屋外国語大学教授 小野展克)
これまで日銀総裁はどう選ばれたか
日銀総裁はこれまで、日銀と財務省(旧大蔵省)の出身者の起用が続いてきた。財務省、日銀以外から選ばれた日銀総裁といえば、三菱銀行出身で1964年に起用された宇佐美洵氏以来だ。ノーマークだった学者の植田氏が選ばれることでメディアや市場に衝撃が広がった。
かつての日銀総裁の人事は、財務省と日銀が、有力OBを軸に、組織を挙げて取り組んできた。
例えば、2008年の福田康夫首相による日銀総裁選びの際には、政府が元財務事務次官の武藤敏郎氏を提示した。しかし野党が参院で過半数を占める中、国会での同意が得られなかった。政府は、その後も大蔵省の元事務次官であった田波耕治氏を提示するも不同意となり、日銀総裁の選定が政争の具と化した。
このとき、日銀出身の福井俊彦総裁の後任は、財務省と日銀が交代で、日銀総裁を担うという不文律を前提に、「元財務事務次官」を起用するのが順当との思いが財務省にあったのだろう。財務官僚としての最高位である事務次官の経験者で、その中でもえり抜きの10年に一度のエースを日銀総裁に押し上げることが組織としての規律を守り、存在感を示すことにつながるという考えだ。
福田首相も、この考えを前提に日銀総裁候補の選定を財務省に任せた。その結果、ねじれ国会で混乱が想定されていたにもかかわらず、財務省(旧大蔵省)の事務次官経験者が次々と候補者として挙げられた。
異例の展開の中、日銀出身の白川方明氏を起用することで、ようやく与野党が合意、白川日銀総裁が誕生した。