新型コロナウィルスの流行、ウクライナへの軍事侵攻、ChatGPTなどの新しいAI、干ばつや地震などの自然災害……日々伝えられる暗く、目まぐるしいニュースに「これから10年後、自分の人生はどうなるのか」と漠然とした不安を覚える人は多いはず。しかし、そうした不安について考える暇もなく、未来が日常にどんどん押し寄せてくるのが今の私たちを取り巻く時代だ。
『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』著者の冬木糸一さんは、この状況を「現実はSF化した」と表現し、すべての人にSFが必要だと述べている。
なぜ今、私たちはSFを読むべきなのか。そして、どの作品から読んだらいいのか。この連載では、本書を特別に抜粋しながら紹介していく(※一部、ネタバレを含みます)。
宇宙の真理をもギャグにする傑作コメディ
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
ダグラス・アダムス著/安原和見訳、河出書房新社、2005年(原著刊行1979年)
どんな作品か:銀河を放浪する「元地球人」の珍道中
『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、1979年に刊行されたSFコメディの大傑作である。もともとは、1978年にイギリスのBBCラジオ4でラジオドラマのシリーズとして始まったものだが、口コミで大きく話題が広がっていき、翌年にはラジオドラマの脚本家であるダグラス・アダムス自身の手によるノベライゼーションが刊行された。それが、本稿で取り上げる、小説版『銀河ヒッチハイク・ガイド』だ。
宇宙の真理の探求に地球がまるごと巻き込まれていく壮大な/バカバカしいプロットに、イギリスらしいユーモアをふんだんに盛り込んだ作風で、小説版も世界的な人気を博した。知性そのものをネタに扱ったユーモアは、いまでもその切れ味を失っていない。
物語は次のように始まる─ある日突然、ヴォゴンという宇宙人が来襲し、地球は2分後に「取り壊される」ことになったと宣告する。銀河の開発計画にもとづいた超空間高速道路の建設予定地になっているためだ。これがヒーローものの小説であれば、誰かがこの事態を阻止するために立ち上がるはずだが、あいにくコメディなので本当に地球は破壊されてしまう。実は高速道路の建設計画も、地球の破壊命令も、最寄りのアルファ・ケンタウリ星に(地球年にして)50年も前から掲示してあったというのだが、地球人類は誰も気がついていなかったのだ。
かくして地球は滅亡してしまうのだが、ごくごく平凡な英国人であるアーサー・デントだけは奇跡的に生き残っていた。実は宇宙人であった友人、フォード・プリーフェクトの助けにより、間一髪のところで地球を脱出していたからだ。フォードの正体は、銀河を渡り歩くものの必読書『銀河ヒッチハイク・ガイド』の執筆者兼現地調査員だった。
ヒッチハイクで銀河を放浪することになったアーサーとフォードは、やがて光速を超えて航行する宇宙船〈黄金の心〉号に拾われる。銀河帝国大統領ゼイフォード・ビーブルブロックスが操るこの船は、ゼイフォードが探し求める伝説の惑星〈マグラシア〉を目指していた。マグラシアはその昔、金持ちのためにオーダーメイドの豪華惑星を建造するという、とんでもない技術を持っていたとされる。
その後、マグラシアの発見に成功した一行は、この星に降り立ち、たった一人生き残っている老人と出会う。老人が彼らに明かしたのは、地球生物の知性に関する驚くべき真相だった。
その真相とは「人間よりイルカのほうが賢い」というもの。イルカたちは惑星・地球の最期が迫っていることに早くから気づいていて、人類に危険を知らせようと数々の努力をした。しかし、いくら努力してもおやつ欲しさに愉快な曲芸をしていると誤解されるだけだったので、しまいにはイルカたちも諦めて、ヴォゴン人がやってくる直前に独自の手段で地球をあとにしたのだという。
さらにいえば、地球にはイルカよりも上位の知性体が存在した─ネズミである(つまり人間は3番目)。ネズミの正体は、宇宙からやってきた超知性を備える汎次元生物であったのだ。
彼らはかつてスーパーコンピュータである〈ディープ・ソート〉をつくりあげ、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を解き明かそうとした。しかし、計算に750万年を費やしたあげく、コンピュータが導き出したのは「42」という謎の答え。なぜこのような、意味不明な答えになったのか? それは「問い」が適切ではなかったからだとコンピュータは説明する。そこで今度は、問いそのものを計算するために、さらに高性能なコンピュータが設計された。実は、そのコンピュータこそが「地球」だったのだが(大きすぎて惑星と間違えられていた)、「究極の問い」が導き出されるまであと5分というところで、破壊されてしまったというわけだ。
(ちなみに、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」という問いと、「42」という数字は、現代でもインターネット・ミームとして根強く生き残っており、グーグルで「the answer to life the universe and everything」と検索すると、グーグル電卓で「42」という計算結果が表示される)
どこがスゴいのか:あらゆる「固定観念」を軽やかにリセット
このように、シニカルな笑いが全編にちりばめられているのが本作の特徴だ。よく知られているネタのひとつは、作中に登場する『銀河ヒッチハイク・ガイド』の「地球」の項目に書かれた説明文だ。そこにはたった一言「無害」としか記されていない。ぞんざいな扱いに憤慨するアーサーに対して、改訂版では「ほとんど無害」に情報をアップデートした……とフォードは弁解する。
これはもちろんジョークなのだが、そこには「広い宇宙の中では、地球の存在感などちっぽけなものだ」といった、ある種の冷徹な視線が感じられる。
科学の発展は、人間と地球の地位の低下と共に進行してきた。地球はこの宇宙で中心的な存在ではないし、他の生命体こそ発見されていないものの、環境だけ見ればそう珍しいものでもない。「自分たちは特別だ」という思い込みは人の目をくもらせ、自由な発想を制限する。本作に、そうした気づきを見いだすこともできるだろう。
また、特筆すべきは本作が起業家や作家に多大なインスピレーションを与えてきたことだ。イーロン・マスクは14歳で、「人生の意味や目的を完全に」見失ったことがあるというが、その時期に読みあさった本の中でも、とりわけ大きな影響を受けたのが、この『銀河ヒッチハイク・ガイド』だったという。
マスクは、本作について次のように語っている。
「『本当に難しいのは、何を問えばいいのかを見つけることだ』とアダムスは指摘している。つまり問いが見つかりさえすれば、答えを出すのは比較的簡単なんだ。そして、質問したいことをしっかりと理解するには、人間の意識の範囲と規模を広げることが大切だという結論に達した」
(アシュリー・バンス著、斉藤栄一郎訳『イーロン・マスク 未来を創る男』/講談社 p30)
さらに、そこから「唯一、人生において意味のあることといえば、啓蒙による人類全体の底上げに努力することだ」という境地に達したと、マスクは語る。
彼の壮大な発想力がSFを下敷きにしていることがよくわかる発言だが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はまさに、われわれの凝り固まった宇宙観、人類観、知性観をリセットしてくれる作品といえる。
ダグラス・アダムス
1952年、英ケンブリッジ生まれ。ラジオドラマ発の『銀河ヒッチハイク・ガイド』がベストセラーになり、以後4冊の続編を執筆している。
※この記事は『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』からの抜粋です。