そして、このような穏やかな死を迎える場として、自宅ほどふさわしい場所はありません。

「良く生きて、良く死ぬ」
そのための選択

 人生の最終章には、「病院で治療する」という選択肢以外にも、治療をやめて「家で生き抜く」(それはつまり「家で死ぬ」)という選択肢があることを知ってほしいと思います。

 医師や病院に言われるがままにつらい治療を継続して、「生かされた」状態のまま逝くのではなく、最期まで自分らしく「家で生き」「家で死ぬ」ために、私の「在宅緩和ケア」はあります。

 私の診療所の大きな方針は「本人が好きなように」「本人が望むこと」をサポートすることです。本人の人生なのだから、本人に主導権を取り戻してもらうのです。

 だから、体にいいことだからといって、本人が望まないことはさせません。つねに「本人の笑顔を引き出す」にはどうすればいいかをケアの中心にしています。

 緩和ケアと聞くと、「死ぬ前の人が行くところ」と認識している人もいるでしょう。そのとおりです。

 だから、「死にたくない」「死なせたくない」「死ぬはずがない」と思っている患者や家族は、私のもとにやってきません。

 病院で治療を続けても、人は死ぬのです。そして、多くの場合において、苦しみながら死んでいきます。

 どうせ死ぬのなら、より苦しみのない方法がいい、そして最期まで自分らしく生きたい、そう考えられる人や家族が治療をやめて在宅緩和ケアを選びます。

「病院で治療をやめる」ということは、「死を認める」ということかもしれません。「死を認める」ことができるかは、当事者になってみなければわからないことでしょう。私も、いざ患者の立場になったとき、どう感じるのかはわかりません。

 在宅緩和ケアを選択し、穏やかに亡くなっていった人はみなさん、ある程度「死を認めていた」ように思えます。

「自宅で死にたい」を尊重した
ある患者の看取り

「人間的な死」を迎えるためのお手伝いはAIには代理できない。看取りの経験を重ねるにつれ、その思いを強くします。

 85歳の安藤ウメさんは一人暮らしをしていました。私のもとに娘さんとやってきたときはすでに前の病院で余命1カ月と宣告されていました。娘さんは「自宅で死にたい」という母親の気持ちを受け止め、病院に入院させず、私に母親の看取りを託すことを選びました。