「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が3月1日に刊行された。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な戦争・反乱・革命・紛争を、「地域別」にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。元外務省主任分析官である佐藤優氏も絶賛の声を寄せる本書の内容の一部を、特別に公開する。今回は、ロシア発展の足掛かりとなった「北方戦争」について紹介。

ロシアはなぜあんなに大きいのか? 大国ロシアの領土拡大の起源ロシアの領土拡大(『東大生が教える 戦争超全史』より抜粋)

大国に成長したいロシアが狙った場所とは?

 今でこそ大国として世界に影響力を持つロシアですが、その繁栄が始まったのは近代以降です。今回は、その足掛かりとなった「北方戦争」について解説していきます。

 ロシアの起源は、862年に北西ロシアに建国されたノヴゴロド国だといわれています。この国は、ノルマン人が先住民のスラヴ民族を支配してつくった国です。ノヴゴロド国はさらに南下を進め、キエフを占領してキエフ公国を建国しました。ウラディミル1世の頃に全盛期を迎えたキエフ公国は、一時はモンゴル帝国の支配下に入るも、1480年には再び独立してモスクワ大公国を築きます。

 このモスクワ大公国を大きく発展させたのが、その目覚ましい功績から、のちに「大帝」と呼ばれることになるピョートル1世です。彼は王位についた後、自らヨーロッパを巡り歩きました。そこで学んだことを生かし、帰国後にヨーロッパを模範とした改革を進めます(西欧化政策)。

 さらに、国内の改革にとどまらず、対外進出にも積極的に取り組みました。東方では当時清朝の時代だった中国とネルチンスク条約を結んで、ロシア・中国間の国境を確定させました。南方では、オスマン帝国と衝突しつつ、黒海北部のアゾフ海に進出します。

 こうした流れの中、次にピョートル1世が狙ったのがバルト海でした。この頃、バルト海の覇権を握っていたのがスウェーデンです。当時のスウェーデンは、三十年戦争やウェストファリア条約での北ドイツ獲得などを経て大国へと成長していました。

 そこでピョートル1世は、スウェーデンの勢力拡大を抑えたいデンマーク・ポーランドと手を組み、デンマーク軍がスウェーデンに侵攻したことで「北方戦争」が始まりました。

北方戦争に勝利したロシアが「西欧への窓」を獲得

 北方戦争の詳細は、『東大生が教える 戦争超全史』を参考にしていただければと思いますが、この戦争最大の衝突となったポルタヴァの戦いにて、ロシアは見事スウェーデンに勝利しました。

 ポルタヴァの戦いに勝利したロシアは、バルト海沿岸にサンクト=ペテルブルクという港湾都市を建設しました。その後、バルト海へと順調に領土を広げたロシアは首都をここに移します。以降、サンクト=ペテルブルクは、「西欧への窓」としてロシアの発展を支えていきました。

 こうしてロシアは、スウェーデンに代わるバルト海の覇者として、一躍、東欧の強国の一つに名乗りを上げました。また、勝利したピョートル1世は、1721年に皇帝の称号を得てモスクワ大公国を「帝国」と宣言し、これによりロシア帝国が誕生したのです。その後もロシアは、冒頭に掲載した図のように領土拡大を続けました。北方戦争は、その足掛かりとなった非常に重要な戦争なのです。

(本原稿は、『東大生が教える 戦争超全史』の内容を抜粋・編集したものです)

東大カルペ・ディエム
現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。