BMSG代表取締役CEO日高光啓(SKY-HI)氏日高光啓(ひだか・みつひろ)/2005年AAAのメンバーとしてデビューし、同時期からソロ名義「SKY-HI」として活動開始。13年にメジャーデビューし、これまでに6枚のオリジナルアルバムをリリース。20年には、マネジメント/レーベル「BMSG」を立ち上げ代表取締役CEOに就任。同年ボーイズグループオーディション「THE FIRST」を主催し、翌年には自身がプロデュースを手掛けるボーイズグループBE:FIRSTを輩出。1986年12月生まれ。千葉県出身。 Photo by Yoshihisa Wada

“日本の音楽業界を変えたい”
起業から2年半で重ねた目に見える実績

 人気グループ「AAA」のメンバー、そしてラッパーのSKY-HIとしてアーティスト活動を行ってきた日高光啓氏。身を置いていたからこそ見えていた業界の根の深い課題を解決すべく「日本の音楽業界を変えていきたい。今変えないと間に合わない」と、2020年9月に自らマネジメント/レーベル「BMSG」を設立、起業して経営者となった。

 私財1億円を投じたオーディション企画「THE FIRST」から誕生したボーイズグループ「BE:FIRST」はデビュー1年目から音楽チャートを席巻、全国ツアーを成功させるなど目覚ましい活躍を見せており、日高氏のプロデュース手腕は高く評価されている。また、起業から2周年に当たる22年9月には、自身の事務所所属アーティストが一堂に会する音楽フェス「BMSG FES’22」を開催し、2日間で3万人を動員した。直近では、事務所の垣根を越えて共演することなどなかったボーイズグループをはじめ、ダンス&ボーカルアーティストが参加する音楽プロジェクト「D.U.N.K.」を実現させるなど、起業からわずか2年半で、音楽業界に大きなインパクトと変化をもたらす実績を残している。

 一方、「THE FIRST」を通じて見せた、オーディション参加者一人一人に真摯(しんし)に向き合う姿勢と育成力が評判になり、多くのメディアで“令和時代の理想の上司”とも取り上げられる。

 先行きが見えにくい今の時代に、このような実績を積み上げているスタートアップ企業経営者、日高光啓氏とはどんな経営者なのか。また、実際に日々の業務に向き合う日高社長はどんな思考で経営しているのか。「何でも答えるので、何でも聞いてください」。そう話す日高社長に経営者としての今の率直な思いや悩みを聞いた。3回にわたってインタビューをお届けする。

※日高氏が起業した理由の詳細は「起業家・SKY-HIが考える、日本の音楽業界『再興のシナリオ』」 | DIAMOND SIGNAL(2022/1/4掲載)参照

◇  ◇  ◇

直面した大きな課題
成長させるための「組織作り」

――起業してから2年半たちますが、今どのような感想をお持ちですか。

 十分な準備をして起業したつもりでいたのですが、それでも想定していなかったことが毎日のように起こる2年半でしたね。経営するに当たって大事なことは、成功すること以上に無駄な失敗をしないことだと考えていたので、起業前に5~6年かけて準備しました。

 会社がスタートしてから起こり得る問題や課題をシミュレーションする時間はあったのですが、実際に起業してみると想定以上のことがありました。その多くは、事業である芸能関係のことで起こる問題ではなく、社内のマネジメントという点、特に組織作りの面に問題があって起こってしまうことだったような気がします。

――起業してから最も大変だったのは、組織作りだった、と。

 それはもう…、大変でしたね。スタートアップ企業が直面する一般的なことだと思うんですが、起業時は少人数でスタートしますよね。全員が共通認識を持って、仕事の役割やバランスもそれほど問題なくうまくやっていける。

 それが、事業が大きくなるにつれて、組織立てて物事を進めていかないといろいろな部分で混乱が生まれます。この組織生成が難しい。人に関することだからこそ、難しいです。

 例えば、BMSGのようにできたばかりの会社は、少しずつ実績を積み重ねて信頼を得ていくわけですが、その信頼を使ってビジネスをしていくときに、BMSGというブランドは消費されていきます。

 そこを、自分のうかがい知れぬところで、信頼を得るスピードより早く消費されているなと感じた現場もありました。当事者意識を持って、積極的に取り組んでもらえるのはとても良いことですし、そうでなくてはいけませんが、時にいきすぎて最終的な責任者である自分の目が届かないところで物事が進んでいて、思わぬ事故が起きたりすることもあるわけです。