ダーウィンと「自然選択」
進化は進歩ではないとダーウィンが気づいた理由は、生物が自然選択によって進化することを発見したからだ。ここで間違えやすいことは、自然選択を発見したのはダーウィンではないということだ。ダーウィンが発見したのは「自然選択」ではなくて「自然選択によって生物が進化すること」だ。
自然選択について簡単に説明しておこう。自然選択は2つの段階から成る。
1つ目は、遺伝する変異(遺伝的変異)があることだ。走るのが速い親に、走るのが速い子どもが生まれる傾向があれば、走る速さの違いは遺伝的変異である。一方、トレーニングで鍛えた筋肉は子どもに伝わらないので、それは遺伝的変異ではない。
2つ目は、遺伝的変異によって子どもの数に違いが生じることだ。つまり、走るのが遅い個体より、走るのが速い個体に子どもがたくさんいる場合などだ。ここでいう子どもの数は、単に生まれる子どもの数ではない。
生まれた後にどのくらい生き残るかも、考えに入れなくてはならない。具体的には、親の年齢と子どもの年齢を同じにして数えればよい。
たとえば、親の数を25歳の時点で数えたら、子どもの数も、25歳まで生き残った子どもで数えればよいのだ。
この2つの段階を通れば、子どもの数が多くなる遺伝的変異を持った個体が、自動的に増えていく。考えてみれば、自然選択なんて簡単だ。要するに、走るのが速いシカより、走るのが遅いシカの方が、ヒョウに食べられて減っていくということだ。
そんなこと、誰だって気づくだろう。実際、その通りで、『種の起源』が出版される前から、生物に自然選択が働いていることは常識だった。当時、進化に興味がある人なら、誰だって知っていた。それなのに、どうしてダーウィンが自然選択を発見したように誤解されているのだろうか。
実は、自然選択はおもに2種類に分けられる。安定化選択と方向性選択だ。
安定化選択とは、平均的な変異を持つ個体が、子どもを一番多く残す場合だ。たとえば、背が高過ぎたり、反対に背が低過ぎたりすると、病気になりやすく子どもを多く残せない場合などだ。
この場合は、中ぐらいの背の個体が、子どもを一番多く残すことになる。つまり安定化選択は、生物を変化させないように働くのである。
一方、方向性選択は、極端な変異を持つ個体が、子どもを多く残す場合だ。たとえば、背が高い個体は、ライオンを早く見つけられるので逃げのびる確率が高く、子どもを多く残せる場合などだ。この場合は、背の高い個体が増えていくことになる。
このように方向性選択は、生物を変化させるように働くのである。
ダーウィンが『種の起源』を出版する前から、安定化選択が存在することは広く知られていた。つまり当時は、自然選択は生物を進化させない力だと考えられていたのである。
ところが、ダーウィンはそれに加えて、自然選択には生物を進化させる力もあると考えた。ダーウィンは、方向性選択を発見したのである。
方向性選択が働けば、生物は自動的に、ただ環境に適応するように進化する。たとえば気候が暑くなったり寒くなったりを繰り返すとしよう。その場合、生物は、暑さへの適応と寒さへの適応を、何度でも繰り返すことだろう。生物の進化に目的地はない。
目の前の環境に、自動的に適応するだけなのだ。こういう進化なら明らかに進歩とは無関係なので、進化は進歩でないとダーウィンは気づいたのだろう。
地球には素晴らしい生物があふれている。
小さな細菌から高さ100メートルを超す巨木、豊かな生態系をはぐくむ土壌を作る微生物、大海原を泳ぐクジラ、空を飛ぶ鳥、そして素晴らしい知能を持つ私たち。こんな多様な生物を方向性選択は作り上げることができるのだ。
もしも進化が進歩だったり、世界が「存在の偉大な連鎖」だったりしたら、つまり一直線の流れしかなかったら、これほどみごとな生物多様性は実現していなかっただろう。
私たちが目にしている地球上の生物多様性は、「存在の偉大な連鎖」を超えたものなのだ。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)