外の世界では、日本人のメンタリティーが尊敬の念を抱かれている現実に安堵する一方、ジャパン・パッシングを始めとした日本軽視をまざまざと見せつけられる。特に、深刻な問題を抱えながらも台頭する隣人中国と比較すると、日本の存在感は薄い。シンポジウムやワークショップで、ジャパンが議題に上ることは稀だ。

 昨年8月にハーバードに来てからというもの、日本人である私が日本のことを聞かれたことは皆無に近く、議題はすべて中国である。

 官民問わず「日本を頭越しにした米中対話」の存在は、中国滞在時から耳にしていたし想像もしていた。だが実際、米国に来てみると予想以上であった。対中関係をこじらせる日本政府に苛立ちを露わにする米国有識者は少なくない。

「でも、日本社会は素晴らしいし、日本人は皆いい人だ。」

 そう励まされるたびに、私には悔しさがこみあげてくる。

 いい人は、世界中にいくらでもいる。

 日本には、世界第三の経済大国として、アジアで初めて近代化を実現した先駆者として、アジア太平洋地域で日米同盟と東アジア協力をつなぐ戦略的アクターとして、その“責任的利益”を追求していく責務がある。

 “いい人”では終われない。

 総理大臣がコロコロ変わるから、政府が戦略を実践しないから、日本の国力が相対的に落ちているから、中国が台頭しているから、アメリカは日本よりも中国を重視しているから……。

 日本人が必ずしもがんばらなくてもいい理由は、いくらでも見つかる。しかし、そんな現状に服従するだけの生き方は楽しくない。時代や政府に対して文句を垂れる時間とエネルギーがあるのなら、まずは自分自身が、自分の土俵で、自分なりのアクションを起こしてみるべきだ。楽観的過ぎてもいい。将来の計画が充分練られていなくてもいい。ただ本心に正直に、挑戦してみることだ。

外交と教育

 香川選手が“不思議な笑み”を浮かべながら悟った現実は、学校の教室では学べない。カリキュラムに含まれていない。先生たちも教えてくれない。

 “絆”に代表されるチームワークの精神は、世界中で尊敬されている。私も世界のあらゆるところに足を運んだが、日本ほど協調性のとれた、人と人が有機的に共存しあっている社会は他にはないと思う。

 しかしながら、日増しに国境が低くなるグローバル時代を生き抜くためには、チームワークというチカラだけでなく、弱肉強食のカオスを駆け抜ける“個”のチカラが不可欠になるとも感じている。

 “個のチカラ”が一国の力、即ち国力を反映するインディケーターになる。時代の趨勢に日本人が乗り遅れるわけにはいかない。