昭和と平成を生き、令和の現在、時代の転換期を目の当たりにして戸惑っている「昭和おじさん」も多い。加えて私生活でも親の介護がはじまり、仕事との両立に悩んでいるという人もいるだろう。親の介護を機に離職を決めたある50代は、複雑な本音を抱えていた――。本稿は、900人以上の働く人々にインタビューを行った健康社会学者・河合薫氏の著書『50歳の壁 誰にも言えない本音』(エムディエヌコーポレーション)より、一部を抜粋・編集したものです。
親の老いを実感し
絶望する中高年
「隠れ介護 1300万人の激震」――。衝撃的な見出しが『日経ビジネス』の表紙を飾ったのは、2016年9月のこと。就業者6357万人(総務省統計局の労働力調査)の実に5人に1人が、隠れ介護と報じられました(*)。その多くは40代、50代の管理職でした。
(*)…「働く人の5人に1人(=1300万人)が隠れ介護」という数字は、東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部の渥美由喜・研究部長兼主席コンサルタントの協力を得て試算されたものである。政府の公式統計(就業構造基本調査)では、約290万人となっているが、多くの専門家が、政府の調査は過小評価だと指摘している
記事の内容は「明日はわが身か」と思わせる深刻なもので、同年代の人と会うたびに話題になりました。しかしながら、当時はまだ“隠れ介護予備軍”に過ぎなかった「私」たちは、本気の危機感をこれっぽっちも持てていませんでした。「親に何かあったら……」というのは、私たち世代共通の心配事なのに、「親が老いる」という当たり前が、どのような形で「私」に影響を及ぼすかを想像するのはとてもとても難しいのです。
「追い込まれるから必死でやるんでしょうに……」
以前、私が介護問題について書いたコラムに、こんなコメントをくださった方がいました。その言葉の真意は、自分が言い訳できない状況に追い込まれて初めてわかりました。
いつだって親の“変化”は突然であり、1つの大きな変化をきっかけに、次々と予期せぬ変化が起こります。「老いる」とは、昨日までできていたことが一つひとつできなくなることであり、目を、耳を、疑うような“絶望の現場”に直面し、出口の見えない孤独な回廊に足がすくむのです。
当たり前だった「親と子」の関係が、「世話をされる人、世話をする人」に変わるのを受け入れるにも時間がかかる。どんどんと心がおいてけぼりになっていきます。
それは自分のことだけ考えて生きていた時代が、実は特別なことだったと知る経験であり、それでもなんとかしなければならない現実に、会社を辞める選択をする人たちもいます。
「後悔したくない」と
介護離職を決めた瞬間
大手企業に勤める梅澤さん(仮名)50代は、後悔したくないとの思いから会社を辞めました。会社にも、上司にも“事情”を相談もせず、隠れ介護を貫いた末の決断でした。