通算2000安打を達成し、記念撮影に応じる阪神タイガースの鳥谷敬氏(2017年9月8日撮影)通算2000安打を達成し、記念撮影に応じる阪神タイガースの鳥谷敬氏(2017年9月8日撮影) Photo:JIJI

プロ野球の阪神タイガース、千葉ロッテマリーンズで活躍、1939試合連続出場(プロ野球歴代2位)、遊撃手として667試合連続フルイニング出場(歴代1位)など数々の記録を残した鳥谷敬氏。突出した才能があったわけでもなく、しかし日本最高峰の舞台で試合に出続けられたのには、日々進歩するためのマインドがあったからだった。

本稿は、18年にわたるプロ野球人生で鳥谷氏が培った、自己肯定感を高める35のメソッドを掲載した書籍『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)から一部抜粋・再編集したものです。

データ至上主義のなかでも
大切な「経験値」

「40歳までショートにこだわる」ということを目標に掲げてきた。

 2021年シーズン開幕戦において、わたしは39歳9カ月で「開幕スタメン」の座を勝ち取った。若いときからの目標だったので、このときはひとつの達成感を覚えたものだった。

 40歳となっても守れるだけの体力と技術をキープする――。

 この目標を掲げて、それを実現できたことは、ささやかな誇りでもある。実際に30歳を過ぎてからは守備範囲も狭くなっていたとは思う。しかし、それを超えるだけの経験が大きな武器となった。

 自軍投手のピッチング内容、相手打者の打球傾向、試合のシチュエーションなどを考慮して、守備位置を1メートル変え、それが見事に的中すれば守備範囲の狭さは十分にカバーできるのだ。

 わたしがプロ入りした頃は、野手の守備能力は数値化されていなかった。しかし、プロ野球人生の中盤以降はセイバーメトリクスの普及や、トラックマン、ラプソード、ホークアイなど、さまざまな計測機器の発展によって、守備力も数値化され、個々の選手の守備能力が可視化されることになった。

 守備範囲や勝利への貢献度など、すべてが数字で評価されるようになったことで、ベンチとしてもありとあらゆるデータを取って、守備・走塁コーチから、守備位置に関して細かい指示が出されるようになった。

 野球は常に進化しているのだ。

 ただ、その一方ではどんどんデータ化されることによって、野球本来の魅力が損なわれているような寂しさも感じていた。

 ベンチからの指示でポジショニングが決められてしまえば、選手たちが試合中に感じる「勘」や、ベテラン選手の「経験」は見向きもされなくなってしまう。

 自分で考える必要がなくなり、ベンチからの指示を待つだけになれば、身体能力の高い選手が圧倒的に有利になる。頭を使うよりも、身体能力の高さだけで結果が決まってしまえば、野球の魅力は半減するのではないだろうか?

 現在の野球界がデータ至上主義にあるのは間違いない。

 けれども、わたしはこう考える。例えば、「80パーセントの確率でここに打つ」というデータが出ていたとしても、そのバッターがたまたま故障をしていて、本来のパフォーマンスを発揮できないこともあるかもしれない。利き腕を故障していて、どこかをかばいながら打つことで、データにない20パーセントの結果となる可能性もある。

 仮に、その20パーセントの結果となったとき、選手はどう感じるだろうか?

 もしわたしが当事者となったとしたら、「ベンチの指示にしたがった結果だから仕方ない」と考えるだろう。当然、ベンチから非難をされることもないだろう。自分はコーチの指示にしたがっただけなのだから。

 あるいは、実際に打者の放った打球がベンチの指示どおりに飛んできたとしよう。ファンの人は気づかないだろうけれど、自分の意思で「ここに飛んでくるだろう」と心の準備をして守るときと、「指示されたからここで守ろう」と半信半疑で守っているときとでは、確実に最初の一歩目に違いが出る。

 長年ショートにこだわり、「どうすれば守備が上手になるのか?」と考え続け、「どうすれば年齢による衰えをカバーできるのか?」と模索し続けてきた身からすれば、いまのプロ野球界には少し寂しさを覚える。「寂しい」というのは適切な言葉ではないかもしれないが、率直にいって物足りなさを覚えてしまう。

 イチローさんが、引退会見の席上で、「頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある」と発言していたが、わたしもまさに同感である。

 頭を使わずに、単に身体能力だけで結果が出てしまう野球には、少しも魅力を感じない。仮に成功したとしても、自分の頭を使わずに、ベンチの指示で結果がよかったのならば、その喜びは半減するのではないか?

あえて逃げ道をなくして
自分で責任を負う

 計測機器が格段に進歩したことで、バットスイングも精密に計測できることとなった。その結果、「軌道をもう数センチ上げて、角度はこれぐらいが理想的なスイングだ」とひと目で理解できるようになった。

 けれども、何度も何度も試行錯誤を繰り返したあとに、自らの手で「軌道も角度も、これが自分の理想のスイングだ」と身につけたものと、単に与えられたデータをなぞることはまったく意味合いが異なるはずだ。

 自分の体験をもってデータを参考にすることと、なんの苦労もせずにデータだけを与えられることはまったく意味合いが異なるのだ。

 すべてのプレー、すべての練習において、頭を使うことだ。与えられたデータ、ベンチの指示に頼るだけでは、たとえ失敗したとしても責任の所在は他者にある。

 自ら逃げ道をなくして、責任を負わない限りは本当に大切なことは身につかない。他人任せでは、成功しても、失敗しても、自分のためにならない。

 それならば、成功も失敗も、どちらにしても自分の責任の下に結果が出たほうがわたしは嬉しい。

 逃げ道をなくして、責任を負う――。

 それこそが、自己成長において欠かせない大切なマインドではないだろうか? 他人任せではなく、あくまでも主体は自分にあるのだ。

成功の可能性を高めるプロセス

 スポーツとしては野球よりもサッカーのほうが好きだが、わたしの場合はサッカーよりも野球が得意だったのでこの世界を選択した。

 アマチュア時代も、プロに入ってからも、自分のまわりにいたのは「野球が大好きだ」という人たちばかりだった。

 けれども、わたしは割と早い段階から「好きと得意は違う」と感じていた。そして、「自分の能力を最大限に発揮できたほうが成功の確率は高まる」とも自覚していた。

 だから、プロ野球選手になるときにも、自分の意識のなかでは完全に“就職”という感覚だった。どの分野に行けば、自分の才能、能力を生かせるかと考えたときに、まずは「プロ野球の世界だろう」と考えた。