おすすめポイント
「誰でも幸せになる権利があると言うが、障害者は不幸だと思う」
「働く意思がない人を税金で救済するのはおかしい」
これらは、『客観性の落とし穴』で紹介される、著者が担当した授業での学生からのコメントだ。要約者はこうした意見を目にするたびに不思議に思っていたことがある。なぜ、自分が助けられる側にいるときのことを考えないのだろう、と。今健康に働いている人であっても、障害をもつことがあるかもしれない。何らかの事情で働けなくなるかもしれない。個人の生活の実感から考えれば、そんなときに助けてもらえる社会のほうが良いに決まっている。
だが、障害のある人や働けない人を排除したほうがいいという意見を言う人は少なくない。これは生活者の視点から来たものではなく、社会の「コスパ」を考える為政者の視点からの意見である。こうした思想はどこから来たのか。そのヒントは『客観性の落とし穴』が指摘する、客観性や数値への過度の信仰にある。
客観性や数値を重視するあまり、私たちは数値化できないはずのものまで数字に置き換えようとしてきた。数字は人間を序列化し、競争へと向かわせる。それは人を「社会の役に立つ」か「立たない」かで切り分ける思想へと結びつけ、社会的に弱い立場にいる人を排除する思想へと行き着いてきた。
こうした息苦しい社会のなかで、著者は「経験」が引き出される「語り」に、客観性によって失われていたものを取り戻す可能性を見出す。本書の紹介する生々しい語りは、言葉と経験のもつ力を再認識させてくれるはずだ。(池田友美)