ぱっとしない普通の人生だと思ったが、それなりに生きてきたんだから、いろいろあるものだ。
 というか、いろいろな人生があっていいのではないか。
 自分で考えて決めた生き方なら、普通であっても、変であっても、別によいのではないか。
 そういうことを自分を例にして伝えたかった。

 「人生だった」なんて、これから死ぬみたいな表現をしたが、55歳まで生きてみたら、そろそろ人生の終わり方も考えるきっかけになった。
 この年齢まで生きられなかった人も多い。自分の人生を振り返ったら、自分の死の形のようなものも、自分なりに納得するようになった。
 つらいとき死にたいと思ったり、その逆に病気で苦しんで死を恐れたり、死ということにもいろいろ思うようになった。
 考えて生きるというのは、自分だけの死というものを形作っていくことになる。
 60代以降に向けて、これからは死もまた人生の一部として受け入れていくしかない。うまくできるだろうか。

 この本には後書きは書かなかった。なくてもいいだろうと思っていた。ただ、家族に感謝を伝えたい気持ちは残った。
 そういえば、校正の途中、子どもがやってきて覗き込んで少し読んで、不思議そうな顔をしていた。変な父親だよな。ごめんな。校正は妻にも頼んだ。若いころの失恋話とかも読むわけである。「ここはやめて」ということもなかった。ほっとした。家族がいた。それは自分で考えて決めた人生として受け取ったというより幸運に近いものだった。

<了>


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考える生き方 空しさを希望に変えるために

ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。

価格(税込):¥ 1,470
判型/造本:46並製
頁数:340
ISBN:978-4-478-02323-5

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