人間関係において、「会いたくない人とは会わない」というのはなかなか困難だし、決行するのは難しいかもしれない。今回のテーマは、毒にしかならない人間関係をバッサリ切る方法について。
人気絶頂の中、日本でのすべての芸能活動を休止し、渡米してから約30年。その生き方と圧倒的な個性で注目を集めてきた野沢直子さんが、還暦をまえにして「60歳からの生き方」について語ったエッセイ集『老いてきたけど、まぁ~いっか。』が発売とともに話題になっています。「人生の最終章を思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」について、本連載では紹介していきます。(初出:2022年11月11日)
家族や会社のために費やす二割、自分のために費やす八割
これからの人生のエネルギー配分を考える。
今までは、まあおそらく個人差はあると思うが大概の人にとって『家族や会社のために費やす八割、自分のために費やす二割』または『家族や会社のために費やす九割、自分のために費やす一割』だった。老年期に入れば『家族や会社のために費やすゼロ、自分のために費やす十割』にスライドしていけるが、この中年期で『家族や会社のために費やす二割、自分のために費やす八割』にスライドしておいてもいいと思う。
いや、この中年期からは自分のために費やす九割九分くらいでもいいかもしれない。老年期に入る手前の今からもう自分自身のために一生懸命になって、家族や会社のためにはもう一生懸命にならなくてもいいのではないかという勧めである。
家族のために会社のために何かのためにずっと走ってきたのだから、今はもう何もしたくない、という人は、今もう何もしないのもいい。それもとても素敵な時間だと思う。再三言うが、この先は自分を喜ばせてあげることだけにフォーカスしていきたい、中年期の今それを少しずつ始めてもいいだろうということである。
面倒な親戚、面倒な義理の両親、面倒な同僚、面倒な上司、面倒なママ友、面倒になってきた友だち、との関係はバッサリ切る
人間関係において、『会いたくない人とは会わない』というのはなかなか困難だし、決行するのは難しいかもしれない。だが、この人間関係というのは良好な時は人生の潤滑油にもなるが、一旦うまくいかなくなると何よりも大きなストレスになる可能性が高いので、この先は健康な精神を保つためには毒にしかならない人間関係はバッサリ切る方向を考えた方が賢明である。このバッサリ切る作業をこの中年期に終わらせておいて、老年期には会いたい人にだけ会える状況を作っておくのが理想なのではないかと思う。
面倒な親戚、面倒な義理の両親、面倒な同僚、面倒な上司、面倒なママ友、面倒になってきた友だち、この手の人たちとの関係はばっさり切ることをお勧めする。
断ち切りたいけれど、なかなか断ち切ることができない関係、このしがらみから逃れるのは容易なことではないとは思う。だが、もう『しがらみ』と書いているだけで、どことなくダニやノミの一種のような語感で気持ちが悪くなってくる。この手の関係はどうにかして人生から削除していくことをお勧めしたい。
この人たちのいるレベルから外れて、自分は違うレベルに行く
会わないようにするのがベストであるが、この手の人たちとは嫌でも会わなければならない場面が多いと思うが、どうすればいいのか。
私の『切る』という意味の一つにはこの人たちのいるレベルから外れて、自分は違うレベルに行くということがある。
面倒といってもいろんなパターンがあると思うが、この手の人たちは大概こちら側に対して何か上から物を言ってきたりおせっかいなことを言ってきたり、あなたを理不尽にコントロールしようとしてきたりすることで面倒だと感じていることが多いと思う。そして、この手の人たちの厄介なところは、彼らのしていることがこちらにとっては理不尽なコントロールになっていると気がついていないところである。またはあきらかにコントロールしているのに、コントロールしているつもりはないと思っていたりもする。
だからそれを指摘したところで、向こうにその自覚がないのだから、そんなつもりではないと反論されてしまって終わってしまうことが多い。この手の人たちは、それを理解することはなく本人にとっては悪気はないということも多いので、おそらくは一生平行線、どうにかしようと思わない方が賢明である。どうにかしようとするだけ、時間と労力の無駄だと思っていい。
『帰り道にウンコ踏め』と心の中で中指を立てておけばいいのだ
そんな人たちとは、相手が何か言っている時に聞いている演技だけして、友だちレベルなら「あー、そうかー、気が付かなかったー」「わあ、○○ちゃんて、なんでもわかっちゃうよね」「そうだよねー、うんうん、○○ちゃんの言う通り」、目上の相手なら「さすがです」「着眼点がすごいです」「深いですねー」と用意しておいた三パターンくらいの相槌のローテーションを十回くらい繰り返して感心して聞いてるフリをしておいて、実際にはまったく聞かずに受け流し、それで最後に更に大袈裟に感心しているフリをして「○○ちゃん、さすが。私ってバカだよね」「ぜひ参考にさせていただきます」などと締めておきながら、『うっせー、バーカ』『地獄に落ちてくれ』『帰り道にウンコ踏め』と心の中で中指を立てておけばいいのだ。くるっと振り向いた瞬間に、実際その背中に両手で中指を立ててもいい。そのくらいしても、神様だってきっと見逃してくれるはずだし、きっと本当にその相手が帰り道にウンコ踏むくらいのことは起きると思う。
この手の面倒な人たちを本気で相手にしてはいけない。本気でこの人たちの言葉を、話を聞いてはいけない。とにかくは右から左に受け流して、真っ向勝負で話を聞いている演技をして感心している嘘をついておけばいいのだ。この人たちに対して誠実である必要はない。そんなの自分がもったいない。
こんな風に、この人たちの話に『聞いてるふりして受け流し心で中指』をやっても埒が明かない、それでも鬱陶しいとなった場合は、もうそういう人たちとは何らかの形で絶縁しよう。
もう会わない、とバッサリ切ってほしい。
『老いてきたけど、まぁ~いっか。』では、「人生の最終章を、思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」を紹介しています。ぜひチェックしてみてください。
(本原稿は、野沢直子著『老いてきたけど、まぁ~いっか。』から一部抜粋・修正して構成したものです)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。
写真/榊智朗