ある王様の一粒種の王子は、いつも満たされぬ心をかかえて、一日中ぼんやりと遠くを見つめていた。王様は息子のためにいろんなことをしてみたが駄目だった。王様は学者たちに相談した。学者たちは「完全に満ち足りた心の男を探し出して、その男のシャツと王子様のシャツを取りかえるとよろしい」と忠告してくれた。

 王様はお触れを出して、「心の満ち足りた男」を探させた。そこへ一人の神父が連れて来られ、「心が満ち足りている」と言った。王様は「そういうことなら大司教にしてやろう」と言うと、神父は「ああ、願ってもないことです」と喜んだので、王様は「今よりもよくなりたがるような人間は満ち足りていない」と、追い払ってしまった。

 つぎに近くの国の王様が「まったく満ち足りた」生活をしている、というので、使節を送った。ところがその王様は「わたしの身に欠けるものは何一つない。それなのにすべてのものを残して死なねばならぬとは残念で夜も眠れない」と言うので、これも駄目ということになる。

 王様はある日、狩りに出かけ、野原で歌を歌っている男の声があまりに満ち足りていたので話しかけてみる。王様が都会へ来ると厚くもてなすぞ、などと言うが、若者は「今のままで結構です。今のままで満足です」と言う。王様は大喜びだ。ついに目指す男を見つけたので、これで王子も助かると思い、若者のシャツを脱がせようとしたが、「王様の手が止まって、力なく両腕を垂れた。男はシャツを着ていなかった」。

 この話は、私には結構面白かった。満ち足りた男というので、まず聖職者が現われ、それも結構世俗的な出世欲をもっていることがばれてしまう。つぎに、何でもかでももっている王様が候補者になるが、「死」を恐れているために「満ち足りた」気持ちになれない。最後のところで、何も持たない、シャツさえ着ていない男が「満ち足りた男」として登場する。「満ち足りる」というときに、すぐわれわれが考えるのは、何か手に入れることの方だが、むしろ、何も持たない者こそ満ち足りていることを示す点が心憎い。人生には面白いパラドックスがあって、昔話はそのようなことを語るのに向いているようだ。