生まれたばかりの赤ちゃん写真はイメージです Photo:PIXTA

欧米の安楽死先進国で認められる安楽死は「意思決定能力」がある人による「自己決定」が大原則。それゆえ認知症や知的障害者、子どもなどの意思決定弱者を守るためにセーフガードが設けられているが、現場を追認する形で規制はなしくずしに緩和されていく一方だ。この先に何が起こるのか――。本稿は児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。

意思決定弱者たちの言う
「死にたい」はどこまで本当?

 安楽死に慣れて専門職たちが機械的な思考に陥ってしまった医療現場で、個々の患者の「死にたい」という言葉が本当の意味での「自己決定」であるかが、どれだけ丁寧に検証されるものだろうか。

 症状の進行とともに意思の確認が困難となる認知症の人では、軽症のうちの事前指示があれば医師の判断で実施してよいとする考え方が、2016年、オランダで起こった意思表明不可能な74歳の患者を注射で安楽死させた「コーヒー事件」の無罪判決後はおそらく少しずつ世界の趨勢となっていくのではないかと懸念される。だが、重症化した時の自分を想像して軽症の時に書いた事前指示書が、実際にそうなった時にその人がどのように感じているかを保障するだろうか。

 私がコーヒー事件で最も気になるのは、女性の安楽死が高齢者ホームへの入所からわずか7週間で行われたと報道されていることだ。

 認知症や精神/発達/知的障害の人のケアに長年携わっている支援職や家族にとっては常識なのだけれど、そうした障害のために意思疎通がむずかしい人の意思や思いや気持ちを正しく読み取るためには、長い期間にわたって付き合い、その人の生活を知り性格や好みを理解しながら、その人特有のコミュニケーションのありようを会得していくプロセスが必要になる。

 施設の医師であったとしても、医師は生活の場にはほとんどいない。日常生活の中での女性の姿は詳しくは知らなかったはずだ。チームでの判断だったとしても、出会って2カ月も経たない施設の職員たちが、生死にかかわる重大な判断をめぐって本人の意思が推測できるほどにその人のことを理解できているとは考えられない。

 発達/知的障害のある人のオランダでの安楽死については、英国の緩和ケア医で上院議員でもあるイロラ・フィンレイ他による調査報告が2018年に報告されている。2012年から2016年までに安楽死地域審査委員会に提出された当該ケースの報告書を、意思決定能力のアセスメント等が障害特性に即した適正なものだったのかについて精査した。

 検証した事例の3分の2では当初の要請が却下されており、その意味では判断は慎重に行われていると見えるが、安楽死が実施された事例では「苦しみのアセスメントはひとえに医師の肩にかかっている」状況であり、医師の偏見が診察に影響することの可能性も見られた。フィンレイらの結論は以下である。