しかし小児緩和ケア医らからは批判の声もある。2014年2月にインドのムンバイで開催された国際小児緩和ケア会議では、集まった35カ国からの250人の専門職が全員でベルギー政府に「先ごろの決定を速やかに再考するよう」求めるメッセージを送った。

 そのメッセージには「死が避けられない病状にある時には、すべての子どもに自分のニーズに合った質の高い緩和ケアを受ける権利がある。……安楽死は子どもへの緩和ケアではない。緩和ケアに変わる選択肢でもない」と書かれていたという。

 緩和ケアチームで長く働き、緩和ケアの教育にも携わってきた看護師、エリック・フェルメールは以下のように疑問を呈している。

 子どもが要請できるためには、まずその子に安楽死を説明しなければならない。しかし、いのちを終わらせることができると知らせることそのものが、安楽死を提案することにならないだろうか。何を言われているか、子どもにどうやって理解できるというのだろう。おそらくは「このしつこい痛みをとるために、安楽死させてあげようね……」としか聞こえないだろう。

 認知症の人、精神/発達/知的障害のある人、子どもは、「本人の自己決定」が困難でありがちで、教唆や誘導の影響を受けやすいうえに、もともと周囲とのコミュニケーションに齟齬が生じやすい人たちでもある。そのような意思決定弱者だからこそ、「医療によって合法的に人を死なせる」仕組みをつくるにあたっては慎重に護らなければならないと考えられてきた人たちではなかったか。

書影『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)
児玉真美 著

 その人たちの意思決定能力をどのように慎重に判断することが可能なのかという検証や方法論の議論はほとんど見られない一方で、彼らはなし崩し的に「護るべき対象」から「死なせてあげるべき対象」へと変わっていく。

 ちなみにオランダでは2004年から、親の意思決定によるゼロ歳から1歳までの乳児積極的安楽死が認められてきた。最近カナダではケベック州の小児科医らから新生児への安楽死を認めようという声が出ていることを考えると、意思決定能力を認められた終末期の子どもの安楽死容認の先には、意思決定能力がない子どもたちへの「親の意思決定」による「安楽死」が繋がり、広がっていくのかもしれない。

 しかし、重い病気や障害のある新生児を医師と親の合意によって殺すことを「安楽死」と呼ぶなら、それこそ安楽死の「自己決定」原則はどこへいったのだろう?