スマホがインフラになり、誰もが気軽に写真を撮る時代になりました。写真が好きになって、そろそろカメラを買おうかなと思っている方も多いのではないでしょうか。いいカメラを買って、もっといい写真が撮りたい、と。
写真家のワタナベアニ氏が物語形式で展開する異色の新刊『カメラは、撮る人を写しているんだ。』から、「いいカメラ」と「いい写真」に因果関係はない、ということを説く一節を紹介します。「カズト」という写真の初心者が、「ロバート」という写真家とカメラを買いに行く場面です。(写真・構成/編集部・今野良介)

「いいカメラを買えばいい写真が撮れる」という幻想

いいカメラを買えば、いい写真が撮れるのか

カメラ量販店・池袋西口『リトルカメラ』のカメラ売り場。

「カメラってたくさんあるなあ。ロバート、最初に買うカメラって、どういう基準で決めればいいんでしょう」

「カメラは写真を撮ることのほんの一部でしかない。適当に決めていいよ」

「適当って。そんな雑に言われても」

「ここに並んでいるどのカメラを買っても、趣味はもちろんプロフェッショナルとしての仕事までできるってことだ。最近のカメラの性能はエグいからな」

「本当ですか。プロ向けと初心者向けのカメラは別でしょう」

「そんなことはない。ママが運動会で使っているコマーシャルをするような機種だって、数年前のプロフェッショナル用のカメラと遜色ない、エグいスペックを持っている。使おうと思ったら十分に仕事で使える」

「じゃあどうしてこんなに高いのと安いのがあるんですか。この十万円のカメラと百万円のカメラで同じことができるとは思えないんですけど」

「だったら、いつも百円の鉛筆でデッサンしている人が千円の鉛筆に替えたら、急に絵はうまくなるか」

「ならないでしょうね。理屈で言えば」

「理屈じゃない。ロジックだ」

「ではなぜプロは百万円のほうを使うんですか」

「信頼性があること、特殊な撮影に対応していること。それくらいだろうな」

「信頼性って、ブランドのことですか」

「ブランドではない。プロフェッショナルの仕事は『絶対に失敗しないこと』が前提だから、とにかく壊れにくくて頑丈なものを選ぶんだよ。かなりアホっぽい理由だろう」

「壊れにくい信頼ってことか」

「冗談ではなくてそれが一番大事なんだ。あとは特殊な撮影を求められたときに対応できる機能があったほうがいい。仕事で使う場合にはそれらが不可欠なんだけど、ママが子どもを撮るときには、使わない機能を省いた小型・軽量なカメラのほうがいいだろう。スペックというのは数値であらわれる性能の優劣ではなくて、使う人が実現したい目的で決まるんだ」

「たしかに仕事で『撮れませんでした』はありえないですよね」

「うん。商業的な撮影ではモデルや大勢のスタッフ、ロケーションの渡航費やホテル代、制作費をすべて合わせると数千万円かかることがある。それが『カメラが故障したので撮れませんでした』では大損害になってしまう」

「たしかに」

「だから私たちは同じカメラを必ず二台買うんだ」

「それは壊れたときの予備ですか」

「そう。もちろんほとんど壊れないから、私は過去に予備のカメラを使った経験はないけれど、それでもスペアのカメラは必ず持っていく。保険だからね」

「そのほうが安心できますね」

「保険と言えば、二台のカメラを同時に買うこともない。カメラの製造時期がズレていれば二台同時に同じ原因の故障が起きる可能性が低いからね。とにかくすべてのトラブルの原因を最少限にしておくことを心がける。それと、撮影したデータをなくしてしまうこともカメラの故障と同じで最悪だ」

「毎日たくさん撮影していれば、一度くらいはデータが壊れたり、なくしたりしそうなものですけど」

「一度くらいと言うけど、そのたった一度で職業カメラマンとしての信頼は終わってしまうよ」

「それを回避するためには何をするんですか」

「撮った写真をメディアに残しておいて、その場でラップトップパソコンにコピーする。さらにポータブルのハードディスク二台にコピー。そうすると、最低でも四つの撮影データが手元に残る。特に外国にロケに行く場合などは、さらにそのどちらかひとつの外部ハードディスクを別のスタッフが持ち歩くようにするんだ。移動中に荷物が紛失したり盗難にあっても大丈夫なようにね」

「そんなことまでするんですね」

「カメラだけじゃない。レンズもだ。撮影で絶対に必要になるはずの焦点距離のレンズは複数持っていく」

「同じレンズを複数、ですか」

「違うよ。たとえば28mmや35mm、50mmなどはよく使うから、それらの単焦点レンズに加えて、ズームレンズの24-70mmなどを予備に持っていく。そうすればすべての単焦点レンズの焦点距離を複数のレンズでカバーできるだろう」

「そこまで念を入れるんですね」

「当然だ。カズトはカメラマンという仕事を知らずに憧れているんだ。写真そのものには素人もプロフェッショナルもないから、撮った一枚の価値は同じなんだけど、価値ある写真を毎日同じようなレベルで確実に量産できるかという部分に差がある」

「量産ってどういうことですか」

「『この写真はプロか素人、どちらが撮ったかわかりますか』と、たった一枚のプリントを見せられたら、たぶん誰にもわからないと思う」

「そういうものですか」

「ソーシャルメディアで、ときどき素晴らしい写真を見かけることがある。趣味で撮っているおばちゃんの『山梨ブドウ狩り・バス旅行』のアルバムなんかでね。その一枚を権威のあるニューヨークのギャラリーあたりで三メートルくらいにプリントして額装して、仰々しく見せられたら、著名な写真家のものだと思い込んでしまうかもしれない」

「僕は絶対にわからないと思います」

「クレジットがついていない一枚の写真の良し悪しを厳密に判断できる批評家なんてほぼいないと思う。でも、それが十枚並んでいればカズトにだってわかるはずだ。上質なマグレを十回続けることは不可能だからね。逆に言えば、毎回完璧な写真が撮れるのがプロフェッショナルだ」

「なるほど。それが量産ってことですか」

「失敗しないこと、うまく撮ることは職人の能力としては当たり前で、それを満たした人たちが独特の表現を競っているのがプロフェッショナルだ」

「厳しい世界ですね」

「まあ、自分がそれを撮る意味があるかないか、だけなんだけど。いきなりプロを目指すより、写真は面白いと感じることのほうが大事だ」

「そう思えるといいんですけど」

「写真を勉強し始めると、雑誌に載っているアイドル写真みたいなポートレートを撮りはじめる人がいるんだ」

「はい」

「気持ちはよくわかる。でも、それはもう雑誌にプロが載せているから撮らなくていいんだよ。せっかく撮るんだとしたらカズトには『過去に一度も雑誌に載ったことがないような、自分にしか撮れない写真がある』と思って撮ってほしいんだ」

「なるほど。はやくカメラが欲しくなってきました」

(以上、書籍『カメラは、撮る人を写しているんだ。』より一部抜粋)