日経平均株価がかつて今のような水準にあったとき、菊池廣之氏(81)は自身が社長を務める極東証券の創立40周年を高級ホテルで祝っていた。1000万円を超える金額で作曲家とバンドを雇い、「ネバー・セイ・キャント(不可能なんてない)」というバラード曲を作らせた。その数カ月後の1989年12月29日、日経平均は過去最高値の3万8915円87銭で取引を終えた。当時は世界の時価総額上位銘柄の大半を日本企業が占めていた。日本は米国を抜いて世界最大の経済大国になりそうな勢いだった。「みんな、良かったんだよね」と菊池氏は振り返る。「来年は5万、6万になるって言ってた」しかし、そうはならなかった。日本株バブルは崩壊し、日本経済は数十年にわたる低迷に陥った。