ゴールドマン・サックスなど外資系金融で実績を上げたのち、東北楽天ゴールデンイーグルス社長として「日本一」と「収益拡大」を達成。現在は、宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の社長にして、日本企業成長支援ファンド「PROSPER」の代表として活躍中の立花陽三さん。初の著作である『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)では、ビジネス現場での「成功」と「失敗」を赤裸々に明かしつつ、「リーダーシップの秘密」をあますことなく書いていただきました。リーダーだからといって「格好」をつけるのではなく、自分の「欠点」や「弱点」を素直に受け入れて、それをメンバーに助けてもらう。つまり、「リーダーは偉くない」と認識することが、「強いチーム」をつくる出発点だ――。そんな「立花流リーダーシップ」に触れると、きっと勇気が湧いてくるはずです。

リーダーが「格好」をつけると“致命傷”を負う→未熟なりに「自分」をさらした方がいい写真はイメージです Photo: Adobe Stock

「社長室」に閉じこもったら終わり

 社長室は絶対につくらない──。
 僕は、楽天野球団の社長になるときに、そう固く誓っていました。

 メリルリンチで数十人の営業マンを統括する立場になったときに、「偉そう」にしてしまって現場から総スカンを食った大失敗への反省があったからです(詳しくは『東北楽天ゴールデンイーグルス元社長・立花陽三氏が明かす、「痛恨の大失敗」から学んだ“リーダーシップの秘密”』記事参照)。あのとき、僕は、豪華な個室にこもって、現場のメンバーたちとざっくばらんなコミュニケーションを、あえて取らないようにしていました。

 自分に与えられたポストに舞い上がっていたということもありますが、それだけでなく、現場リーダーたちの邪魔をしないように、一歩引いたポジションに立とうと配慮したつもりだったのです。しかし、これは完全なる過ちでした。

 なぜなら、部屋に閉じこもっていては、僕がどんな人間なのかが誰にもわからないからです。

 皆さんも、ある人物が「社長になった」「部長になった」からといって、その人物の「人となり」に共感できるものがなければ、本当の意味で信頼することはできないのではないでしょうか?

 そして、そんな人物から「社長命令だ」「部長命令だ」などと言われれば、組織人として対応しないわけにはいきませんが、そこに「やる気」など生まれるはずがありません。それどころか、内心では「反発」を覚えるのが自然な感情でしょう。人間とはそういう存在なのだということが、メリルリンチに入社した頃の僕には理解できていなかったのです。

 長年勤めてきた会社での昇格であれば、周りの人々は僕の「人となり」はわかってくれていますから、個室に入ってもなんとかなったかもしれません。だけど、メリルリンチに転職したときは、他社からいきなり“落下傘”で降りていったようなものですから、現場のメンバーからすれば、僕はただの“よくわからないおじさん”。そんな僕が、個室にこもって偉そうにするなど、“自殺行為”以外の何物でもなかったのです。

 だから、この痛恨の失敗を二度と繰り返さないため、再び“落下傘”で楽天野球団に降りることになった僕は、社員と机を並べて一緒に働き、すべての社員とオープンなコミュニケーションを取ることで、取り繕うことなく「我が身」をさらして、よくも悪くも自分なりの「人となり」を伝えていこうと考えたのです。

リーダーだからといって、
「賢いフリ」をしない

 それで、どうなったか?
 すでにお伝えしたように、僕としては丁寧な言葉遣いをしていたつもりだったのですが、取り繕うことなく「我が身」をさらした結果、社員たちは当初、「とんでもない社長が来たぞ。なんか怒ってばっかりいるぞ」などと囁き合っていたようです(詳しくは『「伸びる会社」と「衰退する会社」を見分ける、「職場」の決定的な違いとは?”』記事参照)。要するに、2回目の落下傘降下も、決してうまくいったわけではなかったということだと思っています。

 だけど、僕は、反省点があるとは思いつつも、現時点においては、「あれでよかったんだ」と考えています。

リーダーが「格好」をつけると“致命傷”を負う→未熟なりに「自分」をさらした方がいい立花陽三(たちばな・ようぞう)
1971年東京都生まれ。小学生時代からラグビーをはじめ、成蹊高校在学中に高等学校日本代表候補選手に選ばれる。慶應義塾大学入学後、慶應ラグビー部で“猛練習”の洗礼を浴びる。大学卒業後、約18年間にわたりアメリカの投資銀行業界に身を置く。新卒でソロモン・ブラザーズ証券(現シティグループ証券)に入社。1999年に転職したゴールドマン・サックス証券で実績を上げ、マネージング・ディレクターになる。金融業界のみならず実業界にも人脈を広げる。特に、元ラグビー日本代表監督の故・宿澤広朗氏(三井住友銀行取締役専務執行役員)との親交を深める。その後、メリルリンチ日本証券(現BofA証券)に引き抜かれ、数十人の営業マンを統括するも、リーダーシップの難しさを痛感する。2012年、東北楽天ゴールデンイーグルス社長に就任。託された使命は「優勝」と「黒字化」。星野仙一監督をサポートして、2013年に球団初のリーグ優勝、日本シリーズ制覇を達成。また、球団創設時に98万人、就任時に117万人だった観客動員数を182万人に、売上も93億円から146億円に伸ばした。2017年には楽天ヴィッセル神戸社長も兼務することとなり、2020年に天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会で優勝した。2021年に楽天グループの全役職を退任したのち、宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の創業者・鎌田秀也氏から相談を受け、同社社長に就任。すでに、仙台店、東京銀座店などをオープンし、今後さらに、世界に挑戦すべく準備を進めている。また、Plan・Do・Seeの野田豊加代表取締役と日本企業成長支援ファンド「PROSPER」を創設して、地方から日本を熱くすることにチャレンジしている。著書に『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)がある。