成長ドライバーのはずだった消費者金融が、大きなルール変更により暗転してから5年余り。嵐が過ぎ去るのをじっと待つ中で、雲間にアジア市場という光明が差し始めた。4000億円という巨額投資が、海外事業にもたらす効果とは一体何か。(「週刊ダイヤモンド」編集部 中村正毅)

 今から9年前の3月中旬。三井住友銀行の幹部は、持ち株会社のトップ、西川善文社長(当時)の執務室に向かっていた。

 部屋に入る直前、中から怒鳴るような声が聞こえ、横にいた秘書と思わず顔を見合わせた。

「タイミングが悪いな」。そう思いながら、しばらく間を置いてドアを開けると、電話の受話器を置く西川社長の姿が目に入った。表情から明らかに不機嫌な様子が見て取れた。

 幹部は用件を手短に済ませようと、持参した資料を手渡し、内容を早口で説明した。その途中、終始無言だった西川社長が「電話」と言って携帯電話を片手におもむろに立ち上がり、机にあった別の資料を取り出した。

 幹部が頭を下げ退室しようとしながら、その資料に目をやると、それは消費者金融の新聞記事をまとめたものだった。

 その2日前。新聞各紙には、三菱東京フィナンシャル・グループ(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)と、消費者金融大手アコムの連合が誕生するとの見出しが躍っていた。

 西川社長の虫の居所が悪かったその根底には、焦りもあったのかもしれない。当時、三井住友フィナンシャルグループ(FG)も、消費者金融大手への出資を模索しながら、交渉が思うように進まず、結果として三菱に先を越されるかたちになったからだ。

 垂涎の成長市場──。個人向けの無担保ローンが全盛を誇った2000年代初め。不良債権問題に苦しんでいた大手銀行にとって、厚い利ザヤで高収益を挙げる消費者金融事業は、まぶしいほどの光を放っていた。

 大手銀行は収益力の向上に向けて、個人部門の強化が課題となり、目が向くのは必然的に消費者金融大手の力だった。特に三井住友は、当時、中堅の旧三洋信販と組み「アットローン」を展開していたが、貸付残高が思うように伸びず、焦りは強かった。