龍の刺青が入った腕写真はイメージです Photo:PIXTA

「あの人がああなったのは自己責任だ」と、簡単に言えるだろうか。暴力団排除の時代、ヤクザは社会から切り離される存在となった。だが、彼らは本当に“自分の意思だけ”でその道を選んだのか。大阪・西成で非行少年や極道家庭を見続けるなかで、筆者は、ある結論にたどり着く。人生の分岐は、すでに幼少期に始まっているのではないか。※本稿は、犯罪社会学者の廣末 登『ヤクザが消えた裏社会』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

グレるかどうかは
家庭環境が9割

 社会のヤクザ・暴力団観は、暴力団排除条例(以下、暴排条例)制定というターニング・ポイントを経て、大きく変わりました。ヤクザや暴力団であることは自己責任であると断罪され、排除された結果、社会的孤立を招く時代です。

 しかし、それでいいのかと、筆者は社会に問いたいと思います。暴力団構成員、暴力団離脱者が、生まれたときから「おんどりゃあ、はんどりゃあ」と泣いて、暴力をふるって他人を威圧していたでしょうか。彼らは、十数年かけて発達する中で、家族社会、近隣社会、学校社会、交友と、様々な社会的諸力を受けて、暴力団加入に至っているはずです。

 たとえるなら、人生とは様々な要因によって縒り合されたロープのようなものです。そして、その始点は、家庭なのです。家庭に問題があって、ヤクザ(あるいは暴力団)に進むしか選択肢がなかった人たちもいます。彼らは人生のスタート時点から放置され、過酷な人生を歩まざるを得なかった社会的被害者とみることもできるのではないでしょうか。

「いやいや、そうした家庭に生まれても真っ当に生きている人もいるでしょ」という意見もあるかもしれません。それは、家庭に問題があったけれども、その後、発達の中で、近隣、交友、学校社会などの何れかの時点で「いい人との出会い」という幸運があったからではないでしょうか。