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遠慮なしの辛口コメントで知られる経済評論家・山崎元氏は、今年1月、食道癌との闘病の末に世を去った。転職を12回経験し、山も谷も見ながら人生を楽しみきった同氏の遺作から、その幸福論の一端を紹介する。※本稿は、山崎 元『経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて』(Gakken)の一部を抜粋・編集したものです。

フェラーリをもらうよりも
「仲間内の賞賛」には高い価値がある

 よくある疑問だが、「経済学部の最優秀に近い学生は、実業界に就職したら大いに稼げるだろうに、どうして経済学者を目指すことがあるのだろうか。それは、経済原理に反していないか?」。

 論理の上では、効用関数は融通無碍なので「経済原理に反する」ということはないのだが、不思議な現象ではある。

 それは、「経済学の研究に加わっている自分と、仲間内からもらえる賞賛」に大きな価値があると感じるからだろう。

「フェラーリを1台貰うよりも、いい論文が1本書けて最高レベルの学術誌に採用され、仲間に賞賛される方が遥かに嬉しい」と思う経済学者は少なくあるまい。

「仲間内の賞賛」は、大きな経済価値の期待値に勝る喜びなのだ。

 さて、「仲間内の賞賛」に価値が高いことは、経済学者の世界だけに限るわけではない。他の学問でもそうだろうし、各種の芸事やスポーツ、文学やアートの世界でも同様だ。

「私は、仲間の評価ではなく、自分自身の作品(研究)に満足しているので、他人の評価は自分の幸福感に関係ない」と言い張る人がいたら、「それは勘違いでしょう。もう少し素直に考えましょうよ」と言いたい。

価値観の99%は他人が作った
概念でできている

 そもそも、学問にせよ、芸術にせよ、スポーツやゲームであっても、どのジャンルにせよ過去から現在にかけて多くの他人が創り上げてきたものだ。どんな芸術性があり、どんな研究が研究として価値を持つかといった諸々が他人にすべてを決められているものではないにせよ、他人の価値観(つまり他人の視線)の影響を受けている。

 価値観として個人が自分の自由や創造だと考えているものは、他人が築いた価値観にごく小さなものを付け加えたか、いくつかの選択肢の中から何かを選び取ったに過ぎない。

 特定の専門のジャンルでなくても、「美しい響きの言葉」とか、「正義」といった価値尺度は、過去から現在にかけて夥しい他人が形成した感じ方の影響を受けている。