「経営の神様」稲盛和夫氏の部下に“安住の地”はなかったようだ「経営の神様」稲盛和夫氏の部下に“安住の地”はなかったようだ Photo:SANKEI

「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏は、自分の教えをいつまでも守り続けている部下を許さない。ギューギューとっちめたという。その厳しくも納得してしまう理由についてお伝えしよう。(イトモス研究所所長 小倉健一)

今日この考え方が良いと思っても
明日は良くないかもしれない

《「いつもこうしていますから、こうしました」とか、「上司がこう言いましたから、こうしました」とか、「こういう習慣ですから、こうしました」というような返答を稲盛は許さない。何故そうやったか、自分で十分考え、納得した上での返答でないとギューギューとっちめる。もちろん先例も参考にすべきだが、徒(いたずら)に盲従してはならない。前に稲盛がこう言ったということを、金科玉条(きんかぎょくじょう)とし、いつまでもその通りやって良いとは限らない。今日この考え方が良いと思っても、明日は良くないかもしれない》

――京セラ、KDDI(当時、第二電電《DDI》)を創業し、日本航空を復活させたことで、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏。その稲盛氏が京セラを創業した当時のことを、稲盛氏と共に創業した青山政次氏が振り返ったときの記述だ。

 青山氏の著書『心の京セラ二十年』(非売品、1987年)に記載されていて、同書の「考え方は常に進歩すべきだ」という項目に収められている。

 この記述から察するに、稲盛氏の部下はとても大変だったに違いない。稲盛氏の教えを守るだけでも大変だったろうに、教えをただ「正解」と信じて実行することすら許されないわけである。