生まれ育った場所の気象にまつわる体験や知識を、作品の世界観やディテールの創作に役立てているマンガやアニメの原作者は多い。例えば『鬼滅の刃』の人気キャラ・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の技に「不知火(しらぬい)」というものがあるが、これは「横方向に伸びる蜃気楼」とされている、九州地方に見られる局地的な現象なのだ。本稿は、長谷部 愛『天気でよみとく名画』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
天気や気候からマンガやアニメの
原作者の出身地を当てる
私は、天気や気候からマンガやアニメの原作者の出身地を当てるというマニアックな趣味を持っています。生まれ育った場所の気象に対する体験や知識が、作品の世界観やディテールの創作に役立っていることがあると感じます。
2020年に公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、日本での興行収入が400億円を超え、これまでの記録を大幅に塗り替えて、社会現象になりました。その立役者となったキャラクターが、炎の呼吸を使う煉獄杏寿郎です。ゆるぎない正義感や不断の努力により得た強さなどで、絶大な人気を誇っています。彼が使う技はとても珍しい気象現象が元になっています。
煉獄杏寿郎が繰り出す技の一つに「不知火(しらぬい)」があります。不知火というのは江戸時代の力士や柑橘の名前として知っている方もいるかもしれませんが、もとは非常に珍しい気象現象の名前です。熊本と鹿児島の一部にまたがる八代海で、八朔(はっさく)と言われる旧暦8月1日(現在では8月下旬から9月中旬)の夜に、海上に横一列に無数の光が見えるもので、蜃気楼の一種とされています。マンガでは、杏寿郎が刀を振るうと水平に炎が出て消える描写となっていて、作者の吾峠呼世晴さんは、気象現象の不知火を意識して描いたのではないかと考えられます。
不知火は、古くは『日本書紀』に登場します。八代海で、日没後に方向がわからなくなった景行天皇が、海上の火を頼りに岸に辿り着くことができたため、「誰が火を灯してくれたのか」と尋ねたのですが、誰も知らぬ火(不知火)であったという逸話です。また、『万葉集』では、筑紫の枕詞として詠まれています。今では、不知火は「しらぬい」と読み、不知火海という別名もある八代海のみで見られるイメージですが、古くは、白縫とも表記され、「しろぬい」などと読み方も多様。八代海の他、有明海でも見られるものも指していて、かなり意味が広かったことも考えられます。