「愛情が足りない」と怒る妻

 赤ん坊と生活するのは一種の闘いでありまして、何故なら赤ん坊ほどエゴイズムむき出しの生物はいないのではないか。共同生活者をおもんぱかるということを知らないから、自分の都合でぐずる、泣き叫ぶ。その度に大人は原因を究明すべく努力をし、ミルクを与え、おむつを変え、抱く、あやす、のテンテコ舞イ。そのため仕事の予定が大幅に狂うこと、しばしばであります。

和田誠さんが妻の平野レミさんから「愛情が足りない」と怒られた理由
 

 しからばそういう生き物が憎らしいかと言えば、そんなことはない。これが親の妙なところである。赤ん坊というものは、泣くばかりではありませんから。すなわち、笑うのね。歯のない口を三角に開けて笑顔を作る。一体何が面白いのかよくわからぬことが多いのだが、泣く場合と違って原因究明の必要がない。ケケケと声を立てて笑うことすらある。実際、あの笑顔を見るためなら、何物をも犠牲にしてもいい、という気持になっちゃうのですね。そこで笑わせようと努める。実にさまざまな演技を、親は赤ん坊の目前でいたしますね、笑わせるために。しかしあの姿を他人には見られたくないなあ、まったくの話。

 ある夜、赤ん坊を風呂に入れた。四カ月め頃のことだったと思う。風呂の中で赤ん坊はウンチをした。赤ん坊専用の風呂じゃないです。一緒に入っているのだ。赤ん坊のウンチというのはコロッとしておりません。軟便である。したがって湯の中で、カキタマのようになっちゃった。「ああっ!」と叫んでも遅いのよね。しかしなるべくウンチまみれにならぬよう、身体を動かさないようにして、洗面器でそのカキタマをすくっては外へ捨てていた。ところがその光景を見て妻は怒った。愛情が足りないというのである。自分の子どものウンチなんだから、捨てることはない、そのままにしておくべきだと言う。これは母親の強さでしょうね。父親はなかなかそこまで徹底できない。

 しかし気がつかないだけでションベンはいつでもしてるんだろうなあ。

「唱ちゃんが車とぶつかった」妻からの電話

 事件があった。結果は大事件にならなかったのだが、まあわが家にとっては大事件だ。四歳の長男が自転車に乗っていて、ハイヤーとぶつかったのである。

和田誠さんが妻の平野レミさんから「愛情が足りない」と怒られた理由

 曲り角で、お互いにスピードは出していなかったと見えて、怪我はなかった。母親と一緒に近所の公園に行き、その帰り道、自転車が一瞬早く角を曲ったと思ったら、キキーッというブレーキの音と、ガシャンという自転車の倒れる音。「もうダメだと思った」と妻は言う。