憧れはずっと「トヨタ 2000GT」。クルマ好きの究極の夢を叶えた“運命”の3台
*本記事はMEN’S EX ONLINEからの転載です。
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幼い頃から憧れていた「2000GT」が現実に

 幼い頃に憧れたクルマを大人になってから買う。クルマ好きの抱く数ある夢のなかでも究極の一つだろう。スーパーカーブーム世代のHさんにも夢があった。トヨタ2000GTだ。

 振り返ってみれば小学生の頃、暇さえあればトヨタ2000GTの絵を描いていた。ブームの火付け役だった漫画「サーキットの狼」で2000GTを駆っていた隼人ピーターソンのことが嫌いだった。2000GTを大いに持ち上げていたピーターソンだったが、反面、彼は愛機を決して大事に扱わなかったからだ。

 夢の実現には時間がかかるもの。否、叶わないから夢だ。Hさんも夢は夢で終わるものだとてっきり思っていた。

 地元の高校を卒業後、東京でサラリーマンになった。あるとき通りかかったディーラーの中古車展示場に2000GTが雨ざらしで置かれてあった。プライスタグは確か800万円くらい。新車時価格と比べれば高かったけれど、当時はまだ古い中古のスポーツカーという感じの値付けで、今ほど高い評価を得ていなかった。800万円とはいえサラリーマンだったHさんには手の届く値段ではなかったし、そもそも夢であり憧れのスポーツカーを若い自分が手に入れることなど恐れ多いと思っていた。

トヨタ 2000GT スーパーレプリカ”R 3000GT名車を現代の技術で再現した“トヨタ 2000GT スーパーレプリカ”R 3000GT。

 それから30年。地元に戻ったHさん。“夢は2000GT”のままに、フツウのクルマ好き人生を歩み始めた。自分に見合ったモデルをいろいろと見つけては楽しんできた。そうこうするうち旧車ブームがやってきて、夢の2000GTはというとあっという間に高嶺の花に。法外な相場になり、そのうえもはやディーラーや中古車ショップで見つけて買えるような代物ではなくなった。マニアックなカーオークションで買うか、オーナーから直接譲ってもらうか。夢の実現など諦めかけていた。そんなとき旧車販売で有名な愛知県のロッキーオートによくできたレプリカがあると知る。R3000GTである。レプリカながら2000万円以上もする。けれどもそれなら頑張れば買えるか…。

 Hさんは結局、2Jエンジン搭載のオートマチック仕様を選んだ。コレクターアイテムとなった本物ではないわけだし、どうせなら普段から乗って楽しみたかったからだ。大好きな前期型デザインというのも購入のポイントだった。

 憧れの2000GT前期型スタイルをともかくも手に入れたことで、Hさんは満足した。同じ時期にロッキーオートには本物の前期型の在庫もあったが、あいにく売約済み。R3000GTを手に入れたことで諦めもついた、と思っていた。そんなとき…。

1969年8月のマイナーチェンジで登場した後期型1969年8月のマイナーチェンジで登場した後期型。フロントマスクやサイドのリフレクターなどが変更されている。

「Hさん、後期型ならもうすぐ販売車両として入庫しますよ」

 運命だと思った。諦めなどついていなかったのだ。どうしても欲しい。気持ちに火がついた。自分ももうすぐ還暦だ。本物を買ってもいいんじゃないか。3000GTを求めてロッキーオートに来たのは本物に出会うためだったと思った。クルマ好きの神様に導かれたのだ、と。

 今や億単位の相場となっている2000GTだ。おいそれと買えるシロモノではない。けれども八方手を尽くして資金を調達し、とうとう白い後期型を手に入れた。こうしてHさんのガレージには普段乗り用として前期型フェイスのR3000GT、その隣には本物の後期型2000GTが並ぶことに。2000GTファンならずとも羨むガレージライフの始まりだった。