やばい葛飾北斎 仕事相手とは「ケンカ」家は「ゴミ屋敷」で、絵以外はぜんぶダメ

 葛飾北斎は絵の天才でしたが、絵のこと以外はまるでだめな変人でした。

 まず、人の言うことをききません。江戸時代に「芸術家」という職業はなく、絵師の仕事は注文どおりに絵を描くこと。しかし北斎は「おれは好きな絵を描きてえんだよ!」とロックな独自路線をつきすすみ、よくトラブルを起こしました。

 当時大人気だった小説家・滝沢馬琴の本の挿絵を描いたときのこと。馬琴が「ぞうりを口にくわえた人を描け」と注文すると「はあ? そんなきたない絵が描けるか! てめえがぞうりをくわえてみやがれ!」とめちゃくちゃなキレ方で拒否をして、大ゲンカになりました。

 ほかの小説家に対しても「てめえの本が売れてるのは、おれの絵のおかげだ」と高飛車な態度をとり、絶交される始末。

 北斎はお金にもルーズでした。もらった原稿料を袋ごと放置し、家賃などの集金が来ると袋ごと投げつけてわたすので、売れっ子になっても貯金すらできません。

 妻はそれにたえきれず出て行ってしまいましたが、娘の葛飾応為は北斎が大好きで、北斎を手伝うようになりました。

 でも、応為も北斎に似てだらしなかったため、北斎の家はゴミ屋敷化。ふたりはゴミの中でひたすら絵を描いていました。そうじはせず「家がよごれたら引っ越す」を生涯に93回もくり返し、なんと1日に3回引っ越したこともあります。

やばい葛飾北斎 仕事相手とは「ケンカ」家は「ゴミ屋敷」で、絵以外はぜんぶダメ(イラスト:和田ラヂヲ『 東大教授がおしえる やばい日本史』より
葛飾北斎(1760年~1849年)
時代:江戸時代
身分:浮世絵師
出身:東京
別名:画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)
『富嶽三十六景』などで有名な浮世絵師。作品はヨーロッパにも紹介され、フランスの画家たちに大きな影響を与えた。
北斎はペンネームをころころかえることでも有名で、画狂老人卍などへんな名前もふくめて30回もかえていた。

(本原稿は、東京大学史料編纂所教授 本郷和人監修『東大教授がおしえる やばい日本史』の内容を編集して掲載しています)