これと同様の現象は、ドイツやフランス、イギリスの選挙でも見られる。これらの国々では、急進的な政党もあるが、政権を担いうる政党はいずれも、ポリティカル・コンパスで見ると権威主義的右派に位置づけられる。これはつまり、計画経済を理念とする社会主義の思想や、反権威を理念とするリベラルの思想は、ともに退潮してきたということだろう。20世紀から21世紀にかけて、経済は自由経済、政治は反リベラルという傾向が強まり、大半の政権が権威主義的な右派の範囲に収まるようになってきた。

 といっても、やはり政治は右と左に分かれる。例えば経済問題においては、たんに「大きな政府」か「小さな政府」かが争われるのではなく、税金で集めたお金を、次世代のために投資するのか、それとも現役世代の弱者を支援するのか、といった問題が争われるだろう。

 また政治問題においては、例えば天皇制を認めるか否かがたんに争われるのではなく、皇位継承のあり方として、男女を差別しない仕組みを築くのか否か、といった問題が争われるだろう。このように、政治の領域では微妙な対立点をめぐって争うとはいえ、右と左に分かれて争うことには意味がある。

権威に対して
私たちはどう生きる?

 以上のポリティカル・コンパスは、政治の問題だけでなく、私たちが人生をいかに生きるべきかという問題にも応用できる。私たちの社会には、権威というものがある。権威に対して、私たちはどのような態度をとって生きるべきなのか。

 大まかに言えば、権威を批判するのが「リベラル(反権威)」であり、権威を擁護するのが「保守(権威)」である。けれども、リベラルと保守にはさまざまな立場がある。場合によっては、リベラル内部の対立点、保守内部での対立点のほうが、これら2つの立場の対立点よりも大きいことがある。