リベラルな生き方とは、次のようなさまざまな実践である。

●権威を担いながらも、その影響力を批判的にチェックする。

●権威を担わず、第三者的な立場からチェックする。

●権威に抑圧された立場(マイノリティ)から、権威を批判する。

●権威も反権威も批判して、俗世間から撤退する(老荘思想)。

●現在の権威を否定し、政権交代を通じて新たな権威を打ち立てる(変革主体)。

 5つのこの実践は、権威に対して批判的なスタンスをとるという点では一致しているが、共通点はあまりない。現在の権威を担いながら批判するのか、それとも現在の権威を否定するのか、あるいは新たな権威を打ち立てるのか。こうした問題をめぐって、リベラルのあいだで意見の対立が生まれるだろう。

 これに対して保守的な生き方とは、次のようなさまざまな実践である。

●批判から権威を守り、役職に就いてこれを担う。

●権威に対して従順に従うほうが楽である。

●権威ある人に承認されるような生き方をする。

●古き善き国のかたちを守るために献身したい(ナショナリスト)。

●支配的な権威と同一化して、批判者たちを批判する(冷笑主義者)。

 以上の実践は、権威を支えようとする点では一致しているが、共通点はあまりない。保守の内部にもさまざまな立場がある。

 リベラルも保守も、多様な立場を含んだイデオロギーである。そこで問題になるのは、「どんなリベラルか」、「どんな保守か」ということである。これは、私たちの生き方の問題とも結びついている。私たちは権威に対して、どのような態度をとって生きるのか。権威を完全に否定するのか、あるいは肯定するのか。どちらでもないとすれば、私たちはその中間で、権威とどのように向き合うのか。人生とはある意味で、権威との闘いである。権威を握ったときに、あるいは権威に押しつぶされそうになったときに、その権威に対してどのような態度をとるのか。そうしたことも、私たちは問われているように思われる。