大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。
本記事は、『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋してご紹介いたします。
藤森義明さんの源泉は、どれだけ自分の潜在力を試せるか
20代は目の前の仕事に集中していた、と語っていたのは、藤森義明さんも同じでした。総合商社の日商岩井から35歳でGE(ゼネラル・エレクトリック)に転じ、アメリカ本社の副社長まで務めた人物。その後、日本でLIXILのCEOを務めていました。
東京大学時代は石油工学を学んでいましたが、技術者より、経営や投資の道に興味を持っていました。日商岩井を選んだのは、学生時代のアメリカンフットボールの先輩たちがいたこと。よくある偶然のパターンです。スケールの大きな、やりがいのある仕事に就けるチャンスがありそうだというイメージだったそうです。
実際、社長や副社長には当然なるだろうと思っていたと笑っていました。それはいわば前提条件だった、と。キャリアプランは、むしろ考えなかったそうです。
天然ガスを輸入するプロジェクトチームに入りますが、心掛けていたのはプロジェクトを成功させるために、自分のやるべきことをきちんとやること。これぞまさに、意識が外側に向いていたのだと思います。
実際、20代では極めて純粋にそう考え、目の前の仕事に集中していた。だから、会社からMBAを取りに行け、と言われたときには当初、行きたくないと思ったそうです。プロジェクトはまだ途中なのに、と。
ただ、今はそうは思わないと語っていました。どんなに今のプロジェクトで活躍していたとしても、視野を広げる機会があったら絶対に行くべきだ、と。後に藤森さんはカーネギーメロン大学に留学するのですが、これが大きな転機になるのです。
最も大きかったのは、世界にはすごい人材がいるのだと知ったこと。東京大学を出ていれば、日本ではチヤホヤされたりすることもあり、商社で仕事をしていれば、それなりの自信もあった。しかし、そんな自信は簡単に吹き飛んでしまったのです。
留学後、芽生えたのは、そうしたすごい人材と戦えるようなチャンスが欲しいという思いでした。そんなとき、たまたまヘッドハンティング会社からGEの話がきた。数社からGEを選んだのではなく、GEに興味を持っていたわけでもなく、たまたまだったというのです。
ジャック・ウェルチが率いる世界的企業として知られていたGEで成果を出し続け、抜擢に次ぐ抜擢で、入社から11年で日本人初のGE本社の副社長に就任するのです。
ただ、副社長になりたいとか、たくさん給料が欲しいとか、そういうことを考えたことはまったくなかったと語っていました。それは自分がやってきたことへの報酬ではあっても、目標にはなり得ない、と。
モチベーションの源泉は、どれだけ自分の潜在力を試せるか、でした。だから、こう言っていました。自分に限界を作ってはいけない。限界を自分の中に作った瞬間に、成長は止まる。一番すごいところで、一番難しいところで、自分をチャレンジさせられるようなところで、自分を磨く。その意識こそが必要だったのだ、と。
こうも語っていました。自信というのは、チャレンジから生まれるのだ、と。そのための勇気を持ってほしい、と。
※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。