大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。

3K職場に配属されたとき、成功者はどうしたか?Photo: Adobe Stock

3K職場が嫌で嫌でしょうがなかった樋口泰行さん

 パナソニックホールディングス専務取締役、パナソニック コネクト社長の樋口泰行さんの取材も印象的でした。新卒で松下電器産業に入社。ハーバード大学でMBAを取得後、外資系企業などを経て日本HPやダイエー、日本マイクロソフトの社長を務め、現在は古巣のパナソニックに出戻ったという異色のキャリアの持ち主です。

 樋口さんは大阪大学工学部で電子工学を学んでいたのですが、実はエンジニアではなく、自分に最も縁遠いと思っていた厳しい競争のある業界や派手な業界でチャレンジしてみたいと思っていました。しかし、理系出身の文系就職は珍しかった時代。地元の電機メーカーといえば、ということで就職を決めたのが松下電器でした。

 ところが、会社から配属希望を聞かれて、「営業」と答えてしまいます。これが、予想もしないような部門への配属につながったようです。溶接機事業部。技術的にはほとんど成熟している事業部で、典型的な3K、「きつい、汚い、危険」な職場でした。

 出社すると、つま先に鉄芯の入った重たい安全靴をはき、通常の作業着の上になめし革製の分厚い防護服を着る。その上に皮地のエプロンを着ける。真夏は蒸し風呂のように汗だくです。実験や評価のために長時間溶接を続けていると、金属粒子が容赦なく身体に飛び散り、眼鏡はすぐにダメになりました。眼鏡を買い換えるための、眼鏡手当が支給されていたくらいでした。

 一日中、作業すると、全身は粉塵だらけで真っ黒。鼻の中まで真っ黒になりました。帰宅してからも、昼夜見続けた閃光で目が焼け、涙がこぼれて眠ることができないのです。

 ショックな配属に、最初は毎日、嫌で嫌で仕方がなかったそうです。しかし、やがて腹をくくります。配属された以上は、この道でプロになるんだ、と。そして結果的に、この配属が良かったことが後にわかります。

 ビデオやテレビといった当時の花形の事業部では、一つの製品に技術者200人、といった開発体制が敷かれていました。ところが、溶接機は小さな事業部。開発は3人程度。だから、電気回路だけではなく、筐体(きょうたい)の設計から何からすべてやらなければなりませんでした。顧客からクレームが入れば、飛んで行って直す。セールスにアシストとして同行する。すべてやらないといけない。言ってみれば、小さな事業の経営を、いろんなファンクションとして少しずつ勉強できたのです。

 しかも、溶接機事業部としては5年ぶりの新人配属。鍛えてもらい、猛烈に勉強することになりました。開発の仕事が面白くなり、業界でも画期的な特許を出したりもしました。そして5年で、もうすべて学び切ったと異動願いを出し、次の職場で留学のチャンスを勝ち取るのです。

 入社時、誰も希望していなかったような配属だったからこそ、大きく成長できたのです。

※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。