グレッグ・ノーマンらしいと言えば、まさしく、“彼”らしい結果であった。
第137回全英オープンは、リバプール近郊のロイヤルバークデールGCで開催された。決勝ラウンド3日間を終えて、単独首位に立ったのは53歳のグレッグ・ノーマン。“最強ゴルファー”の復活に、往年のファンは熱狂した。時差の関係で、徹夜でテレビ(ゴルフチャンネル)の前に噛り付くことになった筆者もそのひとりである。
タイガー・ウッズ登場前のゴルフ界では、ノーマンこそが“世界最強”の称号を恣にしていた。アジアサーキット、欧州ツアー、そしてUSPGAツアーと、世界中のゴルフツアーで勇名を馳せ、1987年には、「世界ゴルフランキング」でトップに君臨すると、タイガー・ウッズに破られるまで、その最長記録を保持していた。
http://www.officialworldgolfranking.com/home/default.sps
ノーマンが不快感を隠さない
ある日本人プロゴルファー
1980年代半ば、颯爽と登場したオーストラリア出身の“ホワイトシャーク”ことノーマンは、セベ・バレステロス(スペイン)、ベルンハルト・ランガー(ドイツ)、サンディライル(英国)らとともに、米PGAツアーの外国人スター選手として圧倒的な人気を博していた。
中でもノーマンは、強烈な身体能力を武器に、攻撃的なゴルフでギャラリーを沸かせたのみならず、マナーの良さとルールへの厳格さでもってもファンからの尊敬を勝ち得ていた。メジャータイトル獲得寸前で、いつも“奇跡の逆転負け”をくらい、ランナーアップのトロフィーを並べることになっても、彼のファンが増え続けたのにはそうした部分があったからだろう。
今回の全英オープンでも“悲劇のゴルファー”となってしまったノーマンだが、彼の素晴らしさは、それでも腐らず、勝者を称え、繰り返し挑戦することを止めないことである。
実は、そのノーマンが唯一、不快感を隠さないのが、ある日本人プロゴルファーと、その人物を擁護し続ける日本ゴルフ協会なのである。日本のメディアではほとんど報じられなかったが、当時、その“事件”についてのノーマンの一言は、瞬時に世界中のゴルフ関係者の間を駆け巡った。